緑がちる

緑はいつか散ります。でもまた実るものです。ヴェルディ&FM日記(予定)

東京ダービー、前夜のひとりごと。

社内スケジュール表、4/13(土)の予定欄に「vs瓦斯、潰せ」と書いた。普段の試合日は何も書かない。この日は特別だった。

それを見た同僚が「この謎の予定、なに?」と声をかけてきた。

「ああ、それはね…」と俺はあたかも意味ありげな遠い目をして、口を開きかけて、どう表現しようか逡巡して、うまく言葉が浮かばなくて、結局「…なんでもないよ」とだけつぶやいた。「潰せ」なんて不穏なワードが含まれた予定、なんでもないわけないのだが。

しっかりとした説明をしなかったのは、同僚がそんなに興味なさそうな顔をしていたから、ってのが半分、そして、自分の中で、まだ整理がついていなかったのがもう半分。

 

なぜ俺は、彼らを「潰せ」なんて書くのだろう。

俺にとって、瓦斯・・・FC東京との試合は、どういう意味を持つのだろう。

この敵意に、どうすれば名前をつけることができるのだろう。

 

東京ダービー

2000年に「東京」の名を冠するクラブとして初めてJ1に昇格し、今では国内屈指のビッグクラブへと成長を遂げたFC東京と、
FC東京に遅れること1年、川崎からのホームタウン移転により、同じく東京のクラブとして活動を続けてきた東京ヴェルディ
ともに同じ東京スタジアム(現味の素スタジアム)をホームとするクラブ同士の一戦、これが東京ダービーです。

 

昔の自分の記事から引っ張ってきた。ま、それ以上の説明は別にいいや。

 

両者の間には、過去にたくさんの因縁が生まれた。俺らには俺らの、彼らには彼らの、それぞれの信じる歴史があり、正義がある(いや、本来そういう表現すら語弊があるのだが、長くなるのでここでは控えておく)。その対立構造は、あたかも宗教戦争の様相を呈している。

客観的な事実というのはどこかに転がっているのだろうが、それを掘り返し、誤っている人間を正そうとするエネルギーは、残念ながら俺にはない。そんな行為に意味があるなら、この世界はもう少し平和なはずだし、そもそもそれ以前に、俺にはその資格はない。

なぜなら、俺はその歴史の大部分を、当事者として知らないからだ。2008年や2011年の東京ダービーはテレビで見ていたし、それ以前の話はネット上に転がっている断片的な知識、そしてその時その場に居合わせた、古参サポの口から語られる話くらい。

 

俺にとっての本物のダービーは、昨年7月12日、天皇杯で彼らと闘った、あの日だけ。あの日に起きた出来事だけは、俺は身をもって知っている。

 

味スタへの道中に貼られただっせえ弾幕

生卵で汚された緑色の看板の写真がTwitterで流れてくるのを、腸煮えくり返る気持ちで見ながら並んだ待機列(本気でバケツとモップもって駅まで戻ろうかと思った、友人に止められた)。

普段より真ん中寄りに陣取った席から見た、アウェイ側の味スタの景色。

不穏な静寂の中、相手を挑発するチアホーンの音。そして、少し上ずった「東京ヴェルディ」コール。すぐにそれをかき消さんと鳴り響く反対側の大ブーイング。

選手入場時、緑のビッグフラッグがはためく遥か向こう側にわずかに見えた、打ち上がる赤い閃光(率直に言うが俺はそれを少しだけ美しいと感じた)。

マテウスの手を弾いた塚川のミドル。ワンダーボーイ白井の同点弾。120分の激闘。PK戦。冷静にシュートを沈め、相手ゴール裏を煽る北島、佐川。見るからに緊張した千田の後ろ姿。そして、終焉。

緑の静寂、青赤の歓喜。拍手、涙、罵声、そしてまた拍手。帰り際「スコアで負けたわけじゃない」って負け惜しみを言う頭の中の声。

飛田給駅、ホームでのすれ違い様こちらに向けて中指を立てる青赤ユニの集団。

 

あの瞬間ほど、愛するチームがJ2に甘んじていることへの悔しさを感じたことがあろうか?これ以上彼らとの差が開いちゃいけないんだよ、と血が滲むほど唇を噛んだ。いろんな感情が混ぜこぜになっていたが、J1に戻ることを強く強く渇望したひとつのピークが、あの時だった。

 

それだけのことがきっかけで、彼らは俺にとって真に潰さなきゃいけない相手になって、「瓦斯、潰せ」ってどうしても書きたくて、それは彼らへの最大限の敵意と侮蔑と、そしてほんのわずかのリスペクトを込めた感情であって、でも人から尋ねられてもろくに言語化もできなくて、でもでもそんな闘いの舞台に馳せ参じるんだって誰かに誇示したくて、それで、それで・・・

 

・・・

 

そういえば、去年のダービーのあとに、こんなことを書いた。

少なくとも今回分かったことは、こういった特別なシチュエーションの意義や熱量ってのを、真に理解できるのはその場にいた人間だけだと。だからあれこれネガティブな理由付けをして、当事者になるのを避けるなんて行為は、とにかくもったいないんだと。

ひたすら惨めになるかもしれない。とびっきり辛い思いをするかもしれない。それでも、そうした場所にサポーターとして身を置けるというのは、もしかしたらとんでもなく幸せなことなのかもしれない。改めてそう感じました。まあ、灰皿をぶつけられたりするのは、さすがに御免だけど。

 

 

9ヶ月経った今でも、この考えは変わらない

あの時より前から、頭ではずっと「東京ダービー」がなんたるか理解していた、つもりだった。でも俺の想像力には限界があって、百聞は一見に如かずだった。

もちろん「現場が一番偉い、外野は口出すな」なんて気持ちも全くないけど、歓喜だろうと絶望だろうと、この振り切れた感情が全身に押し寄せる瞬間を、一人でも多くの人間に味わってほしいというのは本音。だから、ヴェルディがJ1に戻り、再びダービーが開催されるということ、そしてホームゴール裏、バクスタが売り切れたという事実が、単純にたまらなく嬉しい。

 

ダービーの価値を上げよう」だとかいうあちらのサポの記事も読んだし、なるほど頷ける面も確かにあるのだが、ぶっちゃけそんなこと個人的にはどうでもいい。明日の味スタで、外野からも一目置かれるような特別な雰囲気が生まれるのであれば、それは間違いなく城福さんがいうように日本サッカーの発展においても有意義なのだろうが、中にいる俺にとってはそんなの結果論であればいい。

 

ヴェルディを応援してはや20年が経つが、スタジアムにたくさん通えるようになったのは社会人になってからのここ数年。当事者になればなるほど、綺麗ごとはどんどん吐けなくなっていって、その一方、たかがサポーターが”一緒に闘う”なんてバカみたい表現を好むようになっていって。

ダービーの前に何らかの文章を上げたいとは思っていて、できたらそこに少しでも意義を持たせたくて、実際途中まであれこれと頭をひねったりもしたのだけど、結局こんな感情論しか書けない。この東京ダービーという代物を、理性的に捉えることは、自分には、まだできない。

 

思うことは単純で。

俺が昨年ピッチに立った緑の戦士たちに感謝したいのは、あの日のリベンジを果たす舞台に、再び上がってくれたこと。

俺が明日ピッチに立つ緑の戦士たちに唯一望むのは、ただ、あの日のリベンジを果たすこと。

 

勝利の女神は平等主義者ではないから、昨年悔しい思いをした俺たちが、今度こそ報われるなんて保証はまったくない。

「これ以上惨めな思いはしたくない」って不安な気持ちが漏れないよう予防線で何重にも縛って、でもそんな感情をはるかに超えるであろう歓喜の瞬間を期待して、また少しその線をゆるめて。そんな感じで、明日を迎えようとしている。その過程で少し溢れすぎた感情の置き場を作っておきたくて、ここに雑多な文章を吐き出す。

 

さて。

明日味スタに向かう”当事者”の皆さん。

初めてダービーを知る人間。自分のように、昨年の悔しさを晴らしにいく人間。過去の記憶を苦々しく噛み締めつつ、それでも足を運ぶ人間。ビッグマッチに胸を高鳴らせ、勇み足で集う人間。

 

思いは人それぞれでしょうが、やることは同じ。

 

明日は最高のホームの雰囲気作ろうね

結局、全ての感情はチームの勝ち負けに帰結するわけで、そして選手たちの士気を左右するのがサポーターの声なわけで。

だから、少なくとも「応援で負けてた」なんてこと、絶対に言われたくはないよね。

我ながらなんと陳腐な締めくくりだと笑ってしまうけど、でもね。こんなの長々としたひとりごとだしね。

 

とにかく、勝ちたいよね。勝ちたいよね。

潰そうね、奴らを

 

 

お写真引用させて頂きました。ありがとうございます。