緑がちる

緑はいつか散ります。でもまた実るものです。ヴェルディ&FM日記(予定)

東京ダービー、そこにいた者として。

 

120分の死闘を終え、PK戦。時計なんか気にする余裕は全くなかったけど、おそらく時刻は22時近くだっただろうか。

FC東京側から4人目のキッカーが出てきたタイミング。

我らの守護神にありったけの想いを乗せ、チャントを叫ぼうと息を吸い込んだとき、
視界が一瞬遠のき、頭の中がぐらついた。

貧血だったか、酸欠だったか、あるいは軽い熱中症だったか。

ほんの少しだけ俺はしゃがみ込み、吐き気を抑えるために下を向いていた。俺らの願い虚しく、マテウスがそのPKを止められなかったことを、聴覚だけで認識した。

それでも、俺は座ったままでいたくなくて、最後まで闘い続けた彼らと共に在りたくて、バカみたいな意地を誇りに思いながら、再び顔を上げて、照明で白く輝くピッチを、その一番奥で非情な勝負に挑む戦士たちの姿を、睨みつけるように見ていた。声はもう出せなかった。

 

そして、その何百秒かあと、反対側に陣取る青赤の割れんばかりの歓声が、味の素スタジアムに響いた。俺たちは、東京ヴェルディは、敗れた。

 

本当に、何も浮かばなかった。

絶対に負けてはならない試合で、最後の最後まで戦い抜いて、しかし名誉は得られなかった選手たち。ゴール裏に挨拶に来るとき、ある者は足を引き摺り、ある者は大粒の涙を流していた。そんな彼らを重々しく迎えたゴール裏中心メンバー、それでも自然発生的に巻き起こった拍手(俺はそのどちらも肯定したい)、そして遠くに聞こえる「緑は大嫌い」。その光景を見ながら、俺はただ茫然と立ち尽くしていた。

 

こんなに感情が揺さぶられているのに、これほどまでにその感情を形容する言葉が浮かんでこない経験は、記憶にない。


俺にとって、初めての東京ダービーだった。

2008年以前、J1時代のダービーマッチの重みを知るには俺はまだ幼すぎたし、2011年の東京ダービーのときも、受験生だった俺はテレビの前にいた。実際、映像を通してもその時のスタジアムの異様さは伝わったし、その後YouTubeにアップされたダービーチャント動画—画質も音声も粗い240pの動画だったが、普段より1トーン高いヴェルディサポの叫び声は鬼気迫るものがあった—を繰り返し繰り返し見ながら、次のダービーこそは俺も絶対に馳せ参じるんだ、と強く心に誓っていた。

 

だが、その「次」は12年やってこなかった。

 

今回のダービーマッチ、始まる前は否定的な意見も少なからず見た。「カップ戦でダービーが実現しても嬉しくない」「今のトッププライオリティはリーグ戦の昇格争い」「そもそもあそこと関わりたくない」・・・

ダービーの何たるかを肌で感じたことのない俺にとって、こうした意見をどう捉えるべきか、正直に言って判断はつかなかった。実際、結果として生まれた過密日程、そして当日ピッチ外で起きたゴタゴタを見るに、そうした意見も正しいのは事実だったろう(だからといって「なので群馬に負けた方がいい」みたいな極端な意見には、俺は決して同意できなかったが)。

 

実は、ダービーマッチの3日前、新国立で行われた町田ゼルビア戦に対しては、俺も否定的な感情を抱いていた。

もはや疑いようのない実力、18番の因縁、東京のど真ん中での”アウェイマッチ”・・・彼らと対峙した結果、惨めな思いをするのが、少しだけ怖かった。参戦できなかった直接的な原因は仕事だけど、たぶん、無理すれば行けた。でも、俺は無理をしないという選択を取った。

あの日、0-2の劣勢から選手たちが見せた意地、そして新国立をジャックし、大声援を浴びせたサポーターの気概、それを一緒に誇れるだけの資格は、俺にはない。

 

だから、俺はおとといの試合に賭けていた。仕事は積もりに積もっていたけど、片づけられるものは必死で片づけ、午後はお休みを頂いた。

昼は新橋のキボンで死ぬほど肉を腹の中に詰め込み、闘いに備えた。いつものメインスタンド寄りの定位置ではなく、真ん中の席に陣取った。

一発目の東京ヴェルディコールから、最後の最後、意識が遠のくまで、ひたすら跳ねて、文字通り喉が潰れるまで声を出した。これほどまでに無心で応援したのは、間違いなく、今回が初めてだった。大袈裟な言い方だし、コアサポからしたら当たり前の行動なのかもしれないけど、これが俺なりの気持ちの見せ方だった。

この日唯一撮った写真。

ぶっちゃけ、対戦相手がFC東京じゃなかったら、ここまでのパワーは出せなかっただろう。煽り弾幕は正直ピンと来なかったし、逆にゼビオ看板を汚されたのは腸煮えくりかえったし、だけど、向こう側のゴール裏をびっしりと埋める青赤の旗を見てさ、これ以上離されたくねえじゃん。置いてかれたくねえじゃん。負けたくねえじゃん。死んでも勝ちてえんだよ、お前らにはよ、って、本気でそう思った。

 

そして、何より我らがヴェルディサポーターたち。

町田戦に続き、自軍を高める(某他サポ曰く「バフ系」応援)雰囲気作りを徹底したそのアティチュードは最高だったし、試合前の告知から、トイレに貼ってあったアジビラに至るまで、緑を纏うものとしてのプライドを貫いてくれて、少なくとも俺のような弱気なサポは、間違いなくあなたたちに救われた。本当にありがとう。試合中の応援だって、熱量は奴らに負けてなかったろ。COBRAの「O!K!さ!」の声量、俺の記憶にある中だと過去一だったわ。ただしダイハツムーヴ野郎は別な。猛反省しろ。

 

試合後のコールリーダーの言葉を聞いたからさ、もともと別の予定が入ってたけど、今日の夜も無理やり味スタに馳せ参じるつもりだ。

俺だって知ってる。今まで何度見てきた?善戦した次の試合、ぬるっと負けて、はいまた元通り。今年こそは違うだろって、何とか証明しないとなって、本気でそう思った。

 

あのとき浮かばなかった感情の形容は、今なお見つからないままだが、その答えを得るのは次の東京ダービー後でも遅くはないと思うし。

少なくとも今回分かったことは、こういった特別なシチュエーションの意義や熱量ってのを、真に理解できるのはその場にいた人間だけだと。だからあれこれネガティブな理由付けをして、当事者になるのを避けるなんて行為は、とにかくもったいないんだと。

ひたすら惨めになるかもしれない。とびっきり辛い思いをするかもしれない。それでも、そうした場所にサポーターとして身を置けるというのは、もしかしたらとんでもなく幸せなことなのかもしれない。改めてそう感じました。まあ、灰皿をぶつけられたりするのは、さすがに御免だけど。

 

外野からの注目度も高かった今回の東京ダービー、いろんな評価が各所でされているけど、自分はあまりそうした声に興味を持てない。哀れみを伴った褒め言葉はいらない。心のない謝罪なんていらない。それを受け取って気持ちよくなるのは不健全だとすら、俺は思ってます。

 

今年のダービーはこれで終わったけど、闘いはまだまだ続く。

本当の意味で、自分たちのアイデンティティに誇りを持ち、胸を張ってこの言葉を言えるように。そんなサポーターであり続けねばならないと、そう誓ったのでした。

 

あと、今度こそ試合中にふらつくことがないように、体力つけようと思う。