緑がちる

緑はいつか散ります。でもまた実るものです。ヴェルディ&FM日記(予定)

ガルーダの国の俊英に餞を(そして”アルハンフィーバー”についても書いてみた)

ちょっとしたお祭り騒ぎになった2年前の時と比べ、別れ際はなんだかあっさりしていた。

 

 

プラタマ・アルハン

2001年生まれ、インドネシア代表の若き俊英サイドバックは、ユース時代から過ごしたPSISスマランを離れ、初の国外挑戦の場を日本に求めた。

2022年にJ2東京ヴェルディに加入すると、自国ヤングスターの新たな船出に色めき立つインドネシア国民が、こぞってヴェルディ関連のSNSをフォロー。クラブ公式インスタグラムのフォロワー数が日本のスポーツチームで1位になり、彼とは関係ないクラブの発信にさえ大量の”Pratama Arhan”のコメントがつくなど、”アルハン効果”はすぐに表れた。

J2ヴェルディがインスタ “フォロワー数” 日本一のスポーツチームに? “経営危機・コンプラ問題続きの古豪”の活路は「新加入のインドネシア人」 - Jリーグ - Number Web - ナンバー

決してフィジカルには恵まれていないものの、その左足から放たれる質の高いクロスやプレースキックは大きな武器。何より、彼の投じるロングスローは驚異的な飛距離を誇り、インドネシア代表でもその”腕”でチャンスメイクをしていた。長年のJ2生活にあえぐ東京の古豪にも、新たな戦術オプションをもたらすことが期待されていた。

 

まずはピッチ内での彼について。

結果的に、2年間でのリーグ出場はわずかに2試合、計55分のみ。それだけ見ると、彼はヴェルディに何ももたらさなかった選手という烙印を押されてしまうかもしれない。

デビュー戦となった2022年アウェイ栃木戦。本職ではない右サイドで起用された彼は、172cmという決して低くない身長(インドネシア人の平均身長は、男性で166.26cmだそう)を有するとは思えないほど、華奢で小さく見えた。質の高いクロスを通すシーンもあったが、それ以上にフィジカルコンタクトでの弱さが垣間見え、相手の突破を無理やり手で止めていた。慣れない立ち位置での出場だったことを差し引いても、ポジショニングの曖昧さや、消極的なメンタリティを感じさせる、及第点以下のプレーぶりだった。事実その試合は前半45分のみでピッチから退くことになり、その後も出場機会を得ることはないままシーズンを終えることになる。

 

ただし、迎えた翌2023年シーズン、彼は確かに東京の地で爪痕を残した。それが天皇杯での2試合だ。

2023/6/7、西が丘サッカー場で開催された天皇杯2回戦、相手はザスパクサツ群馬。アルハンは久々にスタメンに名を連ねる。

1-1で迎えた83分、左サイドのタッチラインから彼の放った鋭いロングスロー。予想以上に伸びたのだろう、群馬の選手がヘディングでの処理を誤り、軌道が変わったボールはそのままゴールに吸い込まれていった。彼がもたらした決勝点のおかげで、東京ヴェルディFC東京が待つ3回戦へ駒を進めることができた。例のエフトーさんの花火&卵投げ騒動も、彼がいなかったらそもそも起きてなかったかもしれないわけですね。

その東京ダービーにおいても、攻守に奮闘。彼のロングスローが名手スウォビィクの目測を狂わせ、あわや1点モノのシーンを2回も生み出した。延長戦に突入した110分に足を攣ってピッチを退くまで、彼はピッチ上を駆け回り、宿敵相手にむざむざと敗れることを許さなかった。レギュラーを任せうる安定感にこそ欠けていたかもしれないが、デビュー戦時の心身ともにひ弱な印象は、もうなかった

 

そういや、元々彼がインドネシア国内で一躍名を挙げたのも、2021年末のAFFスズキカップがきっかけだったし、そもそもA代表入りを果たしたのもメンポラカップインドネシア国内カップ戦)での大活躍が理由だったらしいので、彼はもしかしたらカップ戦男なのかもしれない。たまにいるよね、そういう選手。

 

残念ながら、その後リーグ戦での出場機会はほぼなく、11月には「今季限りで退団、新天地は韓国」なんて噂も出た中、2024/1/13に契約満了のリリース、そして4日後の1/17に、Kリーグ1部の水原FCへの移籍が発表された。

初の海外挑戦は失意の時間だったかもしれないが、明確なストロングポイントを有する選手は、どこかに必ず活躍できる場所があるはず。まだこの前22歳になったばかり、先はまだまだ長い。穏やかで礼儀正しく、好感が持てる青年だった彼に、あと必要なのは「何がなんでも成功してやる」と歯を食いしばるハングリーさだろうか。

ちなみに、今のインドネシア代表監督は、韓国A代表も指揮した申台龍(シン・テヨン)だし、その監督肝いりでKリーグ入りを決め、2部とはいえ確固たる地位を築いた同胞アスナウィもいるし、彼にとってはやりやすい環境になるかもしれない。新天地でポジションを掴み、インドネシアの国章に描かれた神鳥”ガルーダ”のように、輝かしい未来に向かって力強く羽ばたいてほしい。東京ヴェルディに来てくれてありがとう。レフティの俊英に、餞を

Selamat jalan, dan kapan-kapan kita bisa bertemu lagi, Arhan!

(行ってらっしゃい、そしていつかまた会おうね、アルハン!)

 

・・・

 

さて、ここからは、当然彼の獲得の際にクラブも目論んでいたであろう「インドネシアマーケットの開拓」について、ちょっとした考察。

例のインスタフォロワー爆増ニュースを見た時、能天気な僕は「こんなにSNSも注目されてるし、インドネシアで”Tokyo Verdy”の知名度もグングン急上昇、アルハンユニはバカ売れインドネシア人サポ効果で入場料もウハウハ、ジャカルタから味スタツアーなんかも組まれちゃったりして」とか夢想していた。まあこんなにポジティブな頭空っぽ人間は僕くらいかもしれないが、人口2.7億人の国からやってきた彼がもたらしたこの”アルハンフィーバー”を、商業的な成功に結びつけたいという思惑はもちろんクラブ側にもあっただろうし、サポもそれを期待していた、と思う。

結果的には、どうだったか。

2022年のインドネシアフェスだったり、JO1とのコラボだったり、単発で彼を絡めたプロモーションは打ったものの、クラブに劇的な変化をもたらす大々的な施策は、結局なかった。トップチームのインドネシアへの遠征も検討中、みたいな話もちらっと出ていた記憶があるが、それも実現せずじまいであった。

熱狂が持続しなかったのはなぜなのか。一応僕も仕事の都合でインドネシアにちょこちょこ出張しており、現地の方と接する機会も多い(まあジャカルタ近郊しか行ったことないんだけどね!)人間なので、その中で気づいた肌感覚も交えながら、せっかくなので記していきたいと思う。主観たっぷりの文章なので、許してね。

 

東南アジア出身選手の成功例と言ったら、何といってもタイ王国出身のチャナティップだろう。彼は「Jリーグで活躍するのが夢だった」と事あるごとに公言し、その言葉通り北海道コンサドーレ札幌というチームをJ1に定着させ、リーグ戦・カップ戦ともにクラブ史上最高の結果をもたらす立役者となった。

同時期にティーラシンティーラトンといったタイのスターが、そしてイニエスタトーレスといった説明不要のビッグネームがJリーグに来たこと、彼のクラブが東南アジア圏で有名な観光地である“Sapporo”という土地だったこと等、複合的な要因があったのだろう、彼の活躍ぶりに母国タイは熱狂し、Jリーグもその機に乗じて現地で積極的なPR活動を行っている。

タイで高まるJリーグ人気 | 地域・分析レポート - 海外ビジネス情報 - ジェトロ

(あんまお仕事以外で”ジェトロ”の名前を見たくねぇな)


ただ、大前提として、チャナティップはタイ屈指の強豪ムアントン・ユナイテッドFCで活躍し、既にA代表でも輝かしい実績を残していた、ASEANエリア全体でもトップオブトップの選手だった訳である。現に、札幌が期限付き→完全移籍に切り替える際、ムアントンに支払った移籍金は億単位だったと報じられている。

一方、アルハンは間違いなくプロスペクトではあったが、とはいえまだ国内リーグでの出場数も二桁に満たないくらいの実績に乏しい選手だった。チャナティップのようにセンセーショナルなJデビューを果たすのは難しいだろう、というのは加入前からある程度分かっていただろうし、実際そうだった。さらに、彼がやってきたJ2には、他のインドネシア人選手もいなかった。母国からの注目度は、必然的に下がる。

ただ選手をほいと連れてきて、何かしらの利益を期待するのは、ちょっと虫が良すぎたかもしれない。それはマーケティングではない。単なるフィーバーを大きなムーブメントに繋げるには、分かりやすく鮮烈なストーリーが必要である。それもピッチ内での。アルハンの場合、その期待値は元から低かったと言わざるを得ない。

 

そもそも、Jリーグ自体の訴求力がどうなのか、という話もある。

インドネシアは、ある調査によれば「国民の69%がサッカーファン」という超絶サッカー大国なのだが、

国民の69%がサッカーファンのインドネシア | インドネシア市場専門のカケモチ株式会社

彼らにとって海外サッカーとはすなわちプレミアリーグであり、リーガ・エスパニョーラであり、PSGである。

サッカーファンのローカルスタッフと色々話しても、日本のサッカーが好きな人間は多いが、やはり彼らが魅了されているのは“トミヤス”や”エンドウ”“ミナミノ”、“ホンダ”“ナガトモ”“カガワ”といった欧州のトップリーグで輝く(もしくは輝いた)選手であり、Jリーグへの関心は全くもって薄い。アルハンの所属クラブ名をしっかり記憶している人間なんて、正直あまり見かけない(彼らのうち何人かはヴェルディのインスタをフォローしているにもかかわらず、だ)。

 

そして何より、彼らにはリーガ・インドネシアがある。

僕の一番仲が良いジャカルタ住みの友人なんかは「国内リーグは腐敗がすごくて観てられないよ…」なんて言うけど、彼のような都会人はともかく、地方によってはサッカーが唯一の娯楽であり、地元のクラブが彼らにとって何物にも代え難いアイデンティティ、なんて地域も珍しくない。そこから海外に飛び立つスターはもちろん応援するけど、その行き先がアジアのどこであろうと、彼らにとっては関係ないし、知ろうとも思えないのだろう。

インドネシア人の自国サッカーに対するプライドは、それなりに高い。まあわざわざこのエピソードを持ち出す人間はほとんどいないけど、旧オランダ領東インド時代の1938年に、アジアで初めてW杯に出場したのはこの国だ。国内リーグの動員数だって(クラブによってだいぶばらつきがあるにせよ)なかなかのものだし、選手の待遇だって悪くない。それこそ、アルハンだって、PSISスマランよりヴェルディの方が給料安かったって話だったよね。

ちなみに、リーガ・インドネシアにまつわる話は、我らがヴェルディサポには馴染み深い南部健造(華のヴェルディユース92年組)が詳しく語ってくれているので、必見。

「サポーターはすごく熱狂的で、正直、暴動はいつ起きても不思議ではない、という感じでした。PSMのホームスタジアムのキャパは約2万人ですが、常に満員で、なかにはチケットが手に入らず柵などをよじ登って入って来てしまうサポーターもいたみたいですから。首都のジャカルタやバリ島にも数万人を収容できるスタジアムがありますし、僕もここまで盛り上がっているとは知りませんでした」

非常に失礼な物言いをするが、インドネシアという国家が持つポテンシャルは計り知れないものの、それこそタイとかベトナムなんかと比べても、まだまだ発展途上なのは否めない。国土がとにかく横に広く、しかも1万数千もの島々が点在する群島国家には、各地域にそれぞれ固有の文化があり、外の世界に関心を示さない人間が多い。

都会っ子は欧州の最先端サッカーにリスペクトを。そして、地方の人間はそこに根づいた地元のサッカーに無条件の愛を。ひとくちに「サッカーファン」といっても、その志向は二極化しているし、元々日本サッカー全体へのリスペクトが強いタイと比較しても、Jリーグが入り込む余地がより薄い国である、という印象を抱いている。仮にアルハンが予想を遥かに上回る大活躍ぶりを見せていたとしても、東京ヴェルディJリーグの認知度がさらに向上し、スポンサーや現地サポーターを獲得できていたか、と言われると、自分は懐疑的である。

ちなみに、ヴェルディサポーターの中には、公式の投稿に対してインドネシア人から寄せられる大量の「Arhan?」コメントに辟易とした、という人間も多いだろうが、個人的にはその現象を「外の世界への関心のなさ+暴走しがちな集団心理」がゆえだと解釈している。自分たちが誇るヤングスターの動向のみが彼らにとっての関心事だし、しかも集団になるとちょっと感情的になる。なお、普段とても温厚な彼らがなぜ暴走するのか?については、インドネシア在住のジャーナリスト、大塚智彦氏の記事に詳しい。ちょっと偏見を助長するような記事であることには注意を払ってほしい(アモックという言葉は確かにマレー語由来だが、そのような集団心理は彼らに限ったものではないと思う)が、とはいえ納得できる点もあるので、興味があれば読んで頂きたい。

 

今回のアルハンの獲得は、興行面においては成功をもたらさなかったかもしれないが、とはいえヴェルディ貴重な一歩目を踏み出したことになると思う。前述のように、J人気を浸透させるにはハードルが高く思え、しかもまだまだ国家全体としての若手選手育成スキームも整っていないインドネシアではあるが、ポテンシャルは東南アジア随一の国である。あくまでビジネスメリットは副次的なものと割り切り、次なる逸材を求めて継続的な選手獲得を推し進めるのであれば、個人的には大賛成です。なにより、それが僕のお仕事にとってもプラスになるのでありがたい

 

最後に、この文章を最後まで読んでくださった方には、ぜひとも東京ヴェルディ強化部の齋藤祐太氏による、アルハン獲得に至るまでのプロセス、そしてその反省点に関する記事に、ぜひ目を通して頂きたい。面白いよ。(というか、齋藤氏の記事はなるべく追いかけているつもりだったが、こちらの記事は見落としていて、このブログを書き上げた最後の最後に見つけてしまった。ほぼ僕の書いた文章の答え合わせじゃねえか…と膝から崩れ落ちたのである)

東南アジアではプレミアリーグなどヨーロッパサッカーが絶大な人気を集めています。そのような市場において、日本のJクラブがファンを獲得して収益を得られる仕組みを構築する作業は、いざやってみると想像していた以上に困難な仕事でした。個人的にも、自クラブの東南アジア事業は悪戦苦闘しながら、上記の戦略を念頭に、何とか小さな実績から積み上げている段階です。

#13 Jクラブによる東南アジア選手との契約における戦略設計:第1/3回 ターゲット市場と選手の選定

#14 Jクラブによる東南アジア選手との契約における戦略設計:第2/3回 ターゲット市場と選手の選定(東京ヴェルディの例)

#15 Jクラブによる東南アジア選手との契約における戦略設計:第3/3回 東南アジア事業に関する戦略設計の考え方

 

ま、インドネシア風に言えば「Tidak apa-apa」ですね、気にしない気にしない。では、Sampai nanti!