緑がちる

緑はいつか散ります。でもまた実るものです。東京ヴェルディ&FM日記

東京ダービー、そこにいなかった者として。

 

正直に言うと、一抹の悔しさがあった。

 

4人目のキッカーを託された吉田泰授が、キムスンギュの読みと逆方向にボールを蹴りこみ、鮮やかに揺れたゴールネット。勝利の立役者である長沢祐弥に駆け寄る、緑の戦士たち。「ガスに負けるはずがない」と高らかに歌い、大盛り上がりする東京ヴェルディサポーター。ゴール裏に堂々と掲げられた「TOKYO IS GREEN」の弾幕。

喜ばしいはずのその光景を、僕は自宅で娘を抱っこしながら、ただテレビのモニター越しに眺めることしかできなかった。

 

東京ヴェルディを応援する者として、ダービーは死んでも行かなきゃいけないと思っていた。

もちろん「死んでも」という表現は単なる比喩であり、人はサッカーの試合のために命を落としてはいけないし、0歳児の育児はとても大事なことだし、妻の出産は間違いなく優先すべきである。お前の判断は至極まともなのだと、僕の理性は訴えていた。

 

それでも、18年ぶりのダービー勝利なのだと思えば思うほど、じわじわと「俺もそこにいたかった、いたかったのだ」という気持ちが溢れ出てきてしまう。僕は行き場のない感情をどうにかすべく、ツイッターで僕をブロックしているFC東京サポーター数名のアカウントを辿り、そこに並ぶ負け惜しみの数々を眺めて、なんとか溜飲を下げていた。陰湿野郎ここに極まれり、である。

 

3年前、僕はこんな文章を書いた。

 

少なくとも今回分かったことは、こういった特別なシチュエーションの意義や熱量ってのを、真に理解できるのはその場にいた人間だけだと。だからあれこれネガティブな理由付けをして、当事者になるのを避けるなんて行為は、とにかくもったいないんだと。

 

「ダービーにはそこまで興味がない」「あまり彼らと関わりたくない」

そういった意見は、2023年の天皇杯の時にも確かに存在した。その気持ちも理解できる。それでもなお、ダービーを現地で見届けることでしか得られない感情の昂りがあると知ったから、僕はこの一文を書いた。

あの試合での敗北は本当に惨めだったし、J1に昇格してからも、僕たちは屈辱的な思いをし続けてきたわけだけど、この考えは揺るがなかった。スタジアムになかなか足を運べない身となって、さらにそうした気持ちが強くなっている自分自身に気づく。

 

過去には、この対戦カードが有する因縁をしっかりと理解したくて、両者の歴史をいろいろと深掘りして、ブログに書いたこともある。その行為自体には一定の意義があったと思ってはいるが、今の僕は改めてそれをする気にはなれない。なぜなら、僕はその歴史の大部分において当事者ではないし、当事者であることが意味する重さを、この3年間で少しずつ理解してきたからだ。だから、今回の勝利を真の意味で喜ぶ資格も、僕にはない。そう考えている。

 

かといって、今まで当事者でなかったことが罪なのかといえば、それも違うと思う。あえてこの言葉を使うが、古参には古参の、新参には新参の、僕には僕の、あなたにはあなたの、東京ダービーがある。そこには上下や優劣などなく、ただ平等に、澱んだ感情だけが渦巻いている。それだけで十分ではないか。

歴史を軽んじるわけではないが、実際にその現場に立ち、そこで味わった強烈な歓喜や屈辱こそが、今回のダービーのリアルであり、未来の因縁を形作るのだと思う。だからこそ、やっぱりダービーは死んでも行かなきゃいけないんだよな。書きながらまた、悔しさが募る。

 

今回18年ぶりに東京ヴェルディが勝利したことを機に、澱みはさらに濃さを増したのではないか。

ダービーというのは、そうした負の感情の積み上げがあるからこそ、特別な魔力を有する試合なわけで、そこにキラキラとした“価値”だの“魅力”だのを無理やり見いだそうとする行為は、やっぱり無粋だと思っている。

そして、そう思うからこそ、あの大脱走のメロディーに、「緑が大好き」というポジティブな一節だけを、実に自然に乗せてみせた新チャントに対して、自画自賛と知りつつも、僕は「粋だなあ」と思うのだ。

ただ、あまりに自己陶酔に浸ってしまうと、次の対戦で奴らから強烈なしっぺ返しを喰らう気がするから、ほどほどにしておくけど。

 

とにかく、僕が抱っこするこの娘が大きく成長するまで、そしてそれから先もずっと、東京ダービーの歴史は途切れることなく続いてほしい。それは、東京ヴェルディがトップディビジョンに留まり続けてほしいと願うのと同時に、彼らの一定の成功を祈ることと同義でもあるのだが、別にそれでいいと個人的には思っている。

そして、僕も育児が一段落して、気兼ねなくスタジアムに行けるようになったら、“当事者”として味スタでダービーの凱歌を叫び、祝勝会で盛大に酒をあおり、そして帰りの電車の中で、ツイッターで僕をブロックしているFC東京サポーター数名の愚痴を、じっくりと眺めたりしたいのだ。

 

 

当ブログにたびたび引用させていただいている、ゴール裏の熱量を余すことなく、かつクールに切り取った、kahoさんの大変素敵なお写真。ダービーに臨んだヴェルディサポーターの景色をどうしてもこの記事に載せておきたくて、今回も引用させてもらいました。いつもありがとうございます!

 

 

 

しかしまあ、3年前にウチの広報が発した“We love GREEN. What else?”という一文の影響力たるや、凄まじいものだと改めて思いますね。今やヴェルディサポのなんたるかを定義する言葉になってしまった。こうした現象もきっと、ダービーが持つ負の魔力の裏返しなんでしょうね

 

 

超個人的東京ヴェルディ監督列伝(2002年~2025年)

お久しぶりです!

 

noteのほうはたまに更新していましたが、こちらのブログは完全にほったらかしにしていて、記事を書くのはおよそ1年ぶりとなってしまいました。

 

今回のテーマは、ヴェルディの歴代監督について。

今年6月、俺たちの城福浩監督が、東京ヴェルディリーグ戦最多指揮監督の記録を更新しました。おめでとう浩。ありがとう浩。そういやあの息子は元気か、浩。

とにかくそんなニュースを見て、「思えば、歴代の監督たちもクセモノ揃いだったなァ…」といろいろなことを思い出し、それでこんな記事を綴ってみたいなと思ったのです。

 

ただ、「監督列伝」などと銘打ちましたが、雰囲気でサッカーを見ている僕が、監督に対する真っ当な評価などできるはずもありません。

どちらかというと、自分のヴェルディサポとしての思い出を時系列順に記すために、このような形式にしたというのが正しいです。あ、でも、SNS上での城福さん限界論なんかもちらっと見ていて、ちょっとそこら辺の自分の考えを整理したいな、って気持ちもあります。

記憶違い・認識違いの箇所も多数あると思うので、その辺りはご指摘をいただけたら嬉しいなあ、って思ってます。

 

さて、自分のヴェルディ初観戦は2002年の夏からなので、ロリさんから書き始めてみますけど、ぶっちゃけまともに覚えているのは2010年の川勝ヴェルディからなので、そこまでは全然読み飛ばしていただいてOKです。

 

なお、自分の記憶を補完するために、まぐまぐまぐろんさんのこちらのページを大いに参考にさせていただきました。まぐさんのサイトは、ヴェルディの歴史の一部です

まぐまぐまぐろん-ヴェルディ歴代監督特集-

 

それともうひとつ、札幌サポーターのABさんが書かれた素晴らしい記事の中にあった、ビエルサが唱える「監督の3つの仕事」が示唆的でしたので、あらかじめ記しておきたいと思います。引用の、さらに引用。

 

なお「サッカーはデータが10割 最強アナリストが明かすプレミアリーグで優勝する方法」 (イアン・グラハム著)によると、マルセロ・ビエルサは監督の仕事について
・戦術的アプローチの策定
・選手選考
・チームの感情コントロール
の3つだとしているそうです。

https://1996sapporo.blogspot.com/2025/08/2025seasonreview0.html?m=1

 

それでは、どうぞ!

 

 

 

ロリ・パウロ・サンドリ

Lori Paulo Sandri

在任期間:2002-2003(シーズン途中解任)

通算成績:14勝15敗3分

1試合平均得点:1.34 / 1試合平均失点:1.56

 

僕が初めてヴェルディを観に行ったのが、2002年8月10日。その時のヴェルディの監督がロリさんでした。

正直なところ、どんな監督だったかはまったく覚えていないのですが、彼の時代にデビューした面々を並べてみると、高木義成だったり、小林大悟だったり、一柳夢吾だったり、僕にとっての「これぞヴェルディ」って面々が揃っています。見始めた頃のメンバーって、何年経ってもとりわけ思い入れが深かったりしますよね。皆さんにとっての「The ヴェルディ」って選手は誰でしょうか?

 

オズワルド・アルディレス

Osvaldo Cesar Ardiles

在任期間:2003-2005(シーズン途中解任)

通算成績:22勝25敗20分

1試合平均得点:1.58 / 1試合平均失点:1.82

 

僕は、外国籍の監督というだけで、うっすら信用してしまうタイプなんですけど、それは彼の存在が大きいかもしれません。ヴェルディ歓喜と崩壊の両方をもたらした“ジー”。

現役時代はアルゼンチン代表として、自国開催のW杯優勝に大きく貢献。指導者としても、イングランドで古巣トッテナムを含むいくつかのチームの指揮を執った後、1996年には清水エスパルスナビスコ杯優勝、2000年には横浜F・マリノスでも第1ステージ優勝を果たすなど、日本でも実績を残した監督です。町田ゼルビア時代の成績には触れません。

はるか昔、小学生時代のあいまいな記憶ではありますが、僕がヴェルディを見始めた2003年~2004年のサッカーって、みんな足元うまいし、しっかり走っているし、選手たちのキャラも立っていたし、決して強くはなかったけど、とても魅力的だったんですよね。今に至るまでこのチームを応援し続けるようになったのも、オジーが作ったチームのおかげかも。

ヴェルディ絡み、古の3大人気動画(個人の感想です)ことウーゴのビューティフルゴールも、アルディレス政権2年目の2004年ですよね。ちなみに、残り2つは菅原智最速退場水原ご乱心です。


森本貴幸J1最年少ゴールの金字塔を打ち立てたのも、前例のない若手の抜擢に躊躇しなかった彼の功績といえるでしょう。あと、“エキゾチックターミネーター山田卓也が、あの頃とにかく輝いていた。オジー政権下でなければ、彼がA代表まで行くことはなかったのではないでしょうか。なおキャバクラ7

2004年には、見事天皇杯を制覇ヴェルディに久々のタイトルをもたらします。2005年元旦、祖母の家で固唾を飲みながら、旧国立開催の決勝戦を観てたなあ。小林慶行が退場したときはもう終わったと思ったし、平本一樹の2点目の瞬間、彼は本当にペレだった。タイムアップの笛が鳴った瞬間の感動は今でも忘れられません。

そして、その翌年度には、元セレソンの怪物ストライカワシントンが加入。ゼロックス杯で中澤(あれ、栗原だっけ?)をなぎ倒してゴールを決める姿を見て、僕はこのチームのさらなる躍進を確信したものです。

結果的に、躍進どころか、2005年のチームは低空飛行を続けます。ワシントンは確かに点を決めまくったけど、守備は全然しなかったし、ボールもあまり収まらなかったし、チーム全体のバランスは崩れ気味でした。でも、当時の僕は、やっぱりかっこいい助っ人だった彼を非難する気にはなれず、代わりに「でも最終ラインが戸川じゃなあ」と戸川健太に文句を言っていました。本当にごめんなさい。いや、あの年の守備崩壊は彼だけのせいではなかったと思うけどね。

2005年途中、17試合を終えてわずか3勝と不振にあえいだチームは、アルディレスを解任。そのシーズン、ヴェルディは初めてJ2に降格してしまうのです。

 

バドン

Oswaldo Fumeiro Alvarez

在任期間:2005

通算成績:3勝8敗5分

1試合平均得点:1.19/ 1試合平均失点:1.69

 

全然覚えてません…。聞くところによると、ずいぶんとひどい戦いぶりだったみたいね…。ヴェルディをJ2に落としてしまった監督ではありますが、その後ブラジルのクラブを転々と渡り歩き、最終的にはブラジル女子代表監督にまで登り詰めていたようです。2020年に肝臓がんで逝去されています。

 

ラモス 瑠偉

Ramos Ruy

在任期間:2006-2007

通算成績:47勝30敗19分

1試合平均得点:1.66/ 1試合平均失点:1.38

 

クラブ初のJ2降格。そんな危機を救うべく立ち上がったのが、かつての国民的スターであり、緑の血を熱く燃やすレジェンドOBでした。

まず、J2降格初年度の2006年、僕はあまりヴェルディを見てなかったんです。とにかく音楽ばかり聴いている時期でした。B'zとかXとかレミオとかスピッツとか、あとレッチリとかマイケミとか。いかにも中学生なラインナップだけど、まあ僕ら世代のロック好きはだいたい通る道ですよね。ちなみに僕はスピッツの歌詞考察をネットの海に投下しまくっていた黒歴史を持っています

2007年のサッカーはよく覚えてますね。フッキディエゴの超強力ブラジル人コンビに、名波さん服部さんの元ジュビロ勢。バウルさんがやってきたのもこの年。日テレの放漫経営だからこそ成立した、J2とは到底思えない暴力的なメンバー。よくこれで7連敗できたな。僕が観に行った試合、フッキとディエゴが2人だけで攻めを完結させており、たまに服部さんがオーバーラップしながら援護射撃をしていました。こんな風に個の力だけで勝てるなんて、サッカーという競技はなんてチョロいんだ、と僕は思ったものです。

ちなみに、この頃は母と一緒に味スタに行っていたのですが、母がとにかく名波浩が嫌いで「”ヴェルディをJ1に上げるためにやって来た”とかデカい口叩いてたくせに、全然試合に出ないじゃないの」とキレてました。確かケガしてたんだよね。なお、母親の名波アンチぶりと、父親の顔が限りなく名波に似ていることの相関については、ここでは深く考えないこととします。

まぐさんのサイトを拝見する限り、2007年後半に見せた手堅いサッカーは、実質柱谷さんの手によるものだったみたいですね。J1昇格を置き土産にラモスは監督を勇退し、エグゼクティブディレクターとしてフロント入りしました。

僕は現役時代のラモス瑠偉を知らない世代なので、偉大な選手だとは知りつつも、その後に就任したFC岐阜での仕事ぶりと相まって、どうしてもネタ監督としての印象が先に来てしまいます。もちろん人としては好きだけどね。

 

柱谷 哲二

在任期間:2008

通算成績:10勝17敗7分

1試合平均得点:1.12/ 1試合平均失点:1.47

 

ヴェルディがJ1に復帰した2008年、僕は高校受験を控えていました。それなりに頑張って勉強していたので、なかなか味スタには足を運べなかったけど、その戦績は常にチェックしていました。フッキがヴェルディに戻ってきたときは、嬉しさのあまり本屋にすっ飛んで行き、過去問のために親からもらったおこづかいで、サッカー雑誌を買ったりもしていました(僕は”うるとらスーパーさぶっ!!”が好きだったので、サカダイではなくサカマガを買った記憶がある)。

そして、忘れもしない2008年12月6日、J1最終節。僕は全県模試の自己採点をしながら、ヴェルディvsフロンターレの試合をテレビで見ていました。福西崇史に対するあまりにも無情なレッドカード。いくつかの大ピンチをしのいだ末の、失点。まさかの「ジェフ千葉逆転」を伝える速報。親指を下に向け「このままじゃ落ちるぞ」と選手に訴える柱谷監督の鬼の形相。そんな激情も空しく、僕たちの運命を決定づけてしまった、中村憲剛の美しいシュート。今でもはっきり覚えています。そして、翌日インターネットに上がった、試合後の味スタ居残り動画。「俺たちのヴェルディを返せよ!!」の悲痛な叫びがこだまするスタンド。長い間、あの光景はトラウマでした。

この年に起きた様々な出来事に対して、僕は当事者ではないですから、なにかを偉そうに語ることはできません。柱谷監督の手腕についても、もっとやりようはあったのではないか、との思いは抱きつつも、非難する気にはなれません。

ひとつだけ言えるのは、この混沌の時代において、クラブを愛し支え続けたあの頃のサポーターに対し、僕はとりわけ深い畏敬の念を抱くということです。

 

高木 琢也

今年8月、長崎の監督として月間優秀監督賞を受賞した時の画像です。

在任期間:2009(シーズン途中解任)

通算成績:17勝18敗9分

1試合平均得点:1.27/ 1試合平均失点:1.20

 

2009年もあまりヴェルディを見てなかったんです。とにかく音楽ばかり聴いている時期でした。Lillies and RemainsとかBring Me The HorizonとかDir en greyとかChthonicとか。僕があまり爽やかでない青年に成長したことが音楽趣味の変遷から見て取れますね

あと、最近ヴェルディを応援し始めた方に特に伝えたいけど、仕事や学業で多忙だったり、なにか別の趣味に熱中したりで、ろくにヴェルディを追いかけられない時期があっても、個人的には全然いいと思っています。僕が割とそういうタイプなので。細く長くチームを応援していくのもいいもんです。

この年は3試合くらい味スタに行きました。ある試合で、ベンチ外の外国人選手が来場者プレゼントの絆創膏を配っていました。僕はレアンドロ(殿)かと思って、意気揚々と話しかけにいったら「あ、僕はレアンドロじゃないっす~すいません」と普通に日本語で返事されました。僕が話しかけたのはレオナルドでした。

レアンドロ(殿)。その人柄でサポーターからこよなく愛されました

盛礼良レオナルド。青森山田出身です。現在は町田で通訳をやっているらしい。

この年の終わりに、親会社の日テレが撤退。「クラブ消滅」なんて言葉も飛び交うようになり、当時高校生だった僕は危機感を覚え、再びヴェルディを真剣に応援していくことになります。

ごめんなさい、高木監督に関する話が全くありませんでした。

ハマナチオ」の構築者として名を馳せた横浜FCと、クラブを初のJ1昇格に導いたV・ファーレン長崎で成功を収めた監督ではありますが、J2で10位に沈んだヴェルディ時代はちょっと黒歴史化しているようにも思えます。とはいえ、J1からJ3の合計6クラブを率いた経験値は間違いなく、いつかまたヴェルディの監督に再登板することもあるだろうか、などとうっすら思っていましたが、2022年に長崎の代表取締役に就任したことで、その可能性も限りなく薄れたかな、と。

今年5月からは、その長崎で監督として現場復帰。来年はJ1の舞台で相まみえることになるかもしれないですね。

 

松田 岳夫

写真はベレーザを率いた昨年のものです

在任期間:2009

通算成績:4勝1敗2分

1試合平均得点:1.71/ 1試合平均失点:1.14

 

前述のとおり、2009年はほぼ試合を観ていなかったので、松田監督に交代した後のサッカーについても、僕はなにも語る資格がありません。でも結構評判よかったですよね。僕が本格的にヴェルディにのめりこんだ2010年以降も、ネット上で何度か再任待望論を見た記憶があります。

むしろ、松田さんは「ベレーザの人」のイメージがずっとあります。00年代中盤、タイトルを総なめにしていた最強ベレーザを率いていたうちの一人が、彼ですもんね。2023年からは、そのベレーザの監督に復帰し、昨年チームをWEリーグ初優勝に導きました。もちろんその功績は偉大なのですが、1998年の読売ベレーザ時代に既に監督を経験されていた方が、この令和の時代にまだ同じチームを率いてるって、それでええんかいって気持ちもなくはない。ベレーザには、永田雅人さんという先進的なサッカーを持ち込んだ存在がいた分、余計にそんなことも思ってしまいますよね。

 

川勝 良一

在任期間:2010-2012(シーズン途中解任)

通算成績:50勝36敗20分

1試合平均得点:1.58/ 1試合平均失点:1.08

 

今年城福監督に抜かれるまで、ヴェルディ最多指揮監督の記録を保持していた熱血漢。今さらだけど、なんで愛称が”ケツさん”なんだろ。誰か教えてくれませんか。

ハーフタイムに”特別な方法”で喝を入れ、後半からチームのパフォーマンスを劇的に変化させる必殺技を持っていました。その特別な方法に頼らず、試合前からちゃんと対策仕込んでくれよ、とか言ってはいけません。

冒頭で述べた通り、川勝さんの頃からちゃんとヴェルディを見始めましたし、その頃からブログや掲示板も読み漁っていたので、比較的マシなことは書けるかと思います。

2010年のサッカーは好きでしたね。コンパクトな4バックの陣形を敷き、上背はなくとも足元の技術に長けた選手たちが魅せる、ポゼッション+ショートカウンターのサッカー。あの年は、経験豊富なGK土肥さんにバウルさん&カンぺーのCB、そして佐伯さん&柴﨑晃誠ボランチコンビという、確固たるベースがあったのも大きかったです。あと、菊岡拓朗のキックの巧さ、僕はとても好きでした。10番をつけるのにふさわしいのか議論はあったけど。経営難の煽りを受け選手層は薄く、当時まだユース所属だった高木善朗南秀仁をも抜擢せざるをえない状況でしたが、崖っぷちのチームが見せるひたむきさは、確かに胸を打つものでした。

2011年からは胸スポンサーに飯田産業が付いてくれて、森勇介マラニョンらが加入。2012年は西紀寛中後雅喜といった経験豊富な戦力、さらにはその年にロンドン五輪代表入りを果たした杉本健勇といったタレントも期限付きで獲得しました。もちろん毎年のように主力の若手が抜かれていくチームではあったものの、昇格を争うレベルの補強はできていたと思います。ただ、不思議なことに、陣容が充実していけばいくほど、ピッチ内のサッカーは硬直化していく印象でした。延々と相手ブロックの外でパスを回し続ける体制末期の光景は、ちょっと見ていて辛かった。ありあわせの戦力を率いたほうがうまくいくタイプの監督っていますけど、川勝さんもそこに分類されるのかな。この頃はアクの強いベテランが揃っていて、チームをまとめる中堅どころが不在だったのも大きかったかも。

あと、これはOB監督全体に共通することかもしれませんが、川勝さん時代のチームってほんとに勝負弱かった。昇格候補のチームにはそこそこ善戦するんですけど、”ここで勝ったら自動昇格圏内”とか”今日は年イチの集客デー”みたいな大事な試合、だいたい負けてた気がする。あれだけの熱血指導をする監督が、なぜここぞの大一番でチームを引き締められなかったのか、今年の城福ヴェルディの勝負強さを見ていると、改めてそんな疑問が湧き出てきます。

もうひとつ、川勝さんが在任した3年間は、阿部拓馬の成長物語でもありました。法政大学時代からの恩師の下で、寡黙な印象の青年が、ゴリゴリの地上戦を仕掛けるストライカーへと覚醒していく様は、実に見事でした。恩師の言いつけ通り、直接海外にステップアップしていったりとか、最後は高校時代を過ごした横河武蔵野FCで引退したりとか、彼のサッカー選手としての生き様はとても好みでしたね。

最後に、川勝さんの退任が決まったときの、エルゴラ田中直希氏の記事を貼っておきます。いろいろと書き連ねましたが、人情味溢れるよき監督だったことも、また間違いないです。

 

高橋 真一郎

 

在任期間:2012

通算成績:3勝3敗4分

1試合平均得点:1.40/ 1試合平均失点:1.10

川勝さんの解任を受け、代行で指揮を執ったあと、正式に監督に就任しました。10試合もやってたっけ。中島翔哉ハットトリックの試合は今でもはっきり覚えているけど、どんなサッカーしてたかの記憶はあんまりないです。

あの年の後半戦は、セレッソに帰還した健勇の穴埋めとして獲ったジミーフランサと、昇格への切り札として期待されて帰ってきた柴﨑晃誠が、ともに全然ハマらなかったのが、とにかく痛かったですよね。ジミーフランサツイッター清水エスパルスのことばっかつぶやいてたし。僕は今でもジミーがあまり好きではありません。ごめんなさい。

 

三浦 泰年

在任期間:2013-2014(シーズン途中解任)

通算成績:20勝30敗23分

1試合平均得点:1.04/ 1試合平均失点:1.37

 

監督就任の報せがスポーツ新聞に出たとき、めちゃくちゃワクワクしたのを今でも覚えてます。なにせ、読売クラブヴェルディ川崎時代を知るかつてのOBが、J2で敗戦続きだったギラヴァンツ北九州を躍進させた実績を携え、おまけにJ2屈指のGKだった佐藤優也や、武者修行に出ていたヴェルディユースの俊英キローラン兄弟高野光司らを引き連れて、満を持してランドの地に凱旋する、というのですから。

結果的に、その期待は裏切られることになってしまいます。2013年は当時クラブワーストの13位、さらに翌2014年はJ3降格寸前の20位まで低迷。シーズン途中であえなく解任となってしまいました。

まず、スカッドが問題でした。就任1年目の2013年に採用したのは、コンテユーベと同じ3-1-4-2システム。とはいえ、どちらかといえば攻撃のセンスが特徴的な鈴木惇をアンカー起用し、その1列前のインサイドハーフで、ベテランアタッカーの飯尾さんと西さんが汗水たらしてピッチを上下動している光景は、どう見てもいびつでした。お題目として掲げた”アグレッシブ・コレクティブ”なサッカーを実現するのであれば、中盤にもっと走力と強度を兼ね備えたタイプが必要でしたよね。

翌2014年は、胸スポンサーが空いたことによる資金難から、主力選手を大量放出。中島翔哉をあそこに売り渡したのは本当に屈辱的だった。ボランチ不在問題こそ田村直也と謎ブラジル人ニウドの加入で解消されたものの、ユース卒1~3年目の選手たちが多数を占める、とにかく経験が不足したチームでした。昨年度の反省からか、よりシンプルな4-4-2の布陣を採用するも、相手チームとの質の差はどうにも埋めがたかった印象でした。なんだかんだ、J2基準ではそれなりの陣容で戦ってきたヴェルディに対し、「普通に弱い」って情けない感想を抱いたのは、あの年が初めてです。アウェイで磐田に一矢報いた試合だけが、唯一の明るい思い出だったかも。

あとは、2013年開幕前のレーニングマッチでのアクシデント。あれが最後まで尾を引いてしまったなあと思います。実際にあの場でなにが起こったのか、目撃者も限られるのでなんとも断定しようはないものの、やはりあの一件で、「僕らはこの監督を信じていいんだろうか」という空気が、ピッチ上の選手たちにも、我々サポーターの中にも、うっすらとできてしまった気がします。

少し話が逸れるのですが、ベクトルはどうであれ、「我々がやっていることは正しい」と選手やサポーターに信じ込ませる手腕も、監督に求められる重要な要素だと思います。たとえば町田の黒田剛監督なんかも、僕は彼のことはあまり好きではない(マイルドな表現)ですが、この点に関しては天才的ですよね。本来であれば、ヤスさんもそうした人心掌握に長けたタイプだったと思うのですが、あの騒動によって、自分で自分の首を絞めてしまったのかなと、今はそんなことを思います。

 

冨樫 剛一

在任期間:2014-2016

通算成績:29勝37敗29分

1試合平均得点:0.98/ 1試合平均失点:1.14

 

どん底に沈んだチームの再建を託されたのは、長くランドの地で育成に携わってきた男でした。

ぶっちゃけ、2014年途中就任後のサッカーはマジでつまらなかったです。僕が現地観戦して寝た唯一の試合、駒沢で行われたロアッソ熊本戦でした。平本一樹アディショナルタイムに劇的な決勝ゴールを決めるまでの約90分間、ただボールが選手の頭上を飛び交うのをぼーっと眺めていたら、いつのまにか意識が飛んでいた。あれはよく透んだ10月の出来事でした。結果的にギリギリのところでJ3降格を免れたので、あの割り切ったサッカーも正解だったとは思いますが。

就任2年目の2015年、あの年のヴェルディは印象深いです。目玉助っ人ブルーノコウチーニョこそフィットしなかったものの、バンディエラ平本一樹スーパーサブ永井秀樹といったベテランが底力を見せた前半戦(伝説の岐阜戦もあの時ですね)、杉本竜士高木大輔が前線で激しくチェイシングを仕掛け、澤井直人がサイドで汗かき役を務め、逆サイドの南秀仁がフィニッシャーを担うという、再現性のある攻撃が完成した中盤戦。そんなサッカーを支え続けたのが、経験豊富な中後雅喜と、ルーキーとは思えないほどの完成度を誇った三竿健斗ボランチコンビでした。

あの頃ヴェルディを応援していた人間なら誰しも、ヴェルディユース”華の92年組”に、J1復帰の夢を託したと思うんです。ごたごたしたクラブの状況下で、その夢は一度潰えてしまったけど、代わりに93年〜96年組の面々が、ヴェルディユースを深く知る冨樫さんの下で躍動したことには、特別な意味がありました。あの年はシーズン終盤に大失速し、最終的に8位という結果に終わったものの、このランド育ちのメンバーたちが来年もうひと伸びしてくれたら…と、僕は再び彼らに夢を託したものです。そんな冨樫ヴェルディの新しい象徴になるべきだった三竿が、翌シーズンの始動ギリギリに鹿島へ去ったことに対しては、今なお許し難さがあるのです。

2016年は、その三竿を失った影響がとにかく大きかったです。新加入の高木純平も、緊急補強した船山祐二も、彼の代役にはなれませんでした。ドウグラスヴィエイラの扱いにも難儀していた印象です。デカいFWがいたらとりあえずそこにロングボール蹴ろうとするの、やめて。8ゴール5アシストを記録した高木善朗の孤軍奮闘に救われ、辛くもJ3降格こそ免れましたが、最終順位はズタボロの18位。冨樫さんの経験の少なさを露呈してしまったシーズンでした。

退任後は強化部のダイレクターに就任。その後はU20日本代表監督を経験し、現在はマリノスユースを率いています。近い将来、またキャリアが交わる可能性もありそうですよね。

書いてて気づいたけど、僕、2015年のヴェルディにとりわけ強い思い入れがあったんだな。

 

ミゲル アンヘルティー

在任期間:2017-2018

通算成績:39勝21敗24分

1試合平均得点:1.43/ 1試合平均失点:1.07

 

冴えない2016シーズンを終え、冨樫さんが退任。後任としてその名前が挙がったときの驚きはよく覚えてます。なにせ、学生時代によく買っていたワールドサッカーダイジェストにも名前が載っていた、僕でも知っているスペインの有名監督。どんなサッカーをするのか楽しみすぎて、初めて多摩陸までTM観に行ったもんな。

結果的に、就任初年度にヴェルディを初のJ1昇格プレーオフに導き、2018年は昇格まであと一歩というところまで迫りました。最後の磐田戦は今でも思い出したくありません。

決して選手の育成に長けていたわけではないと思いますが、手駒の長所と短所を見極め、相手の出方に応じて頻繁に配置を替えて、名参謀イバン・パランコとともに相手を攻略していく様は、チェスのゲームを見ているようで好きでした。

とりわけ、ビルドアップのスムーズさを担保するために、平智広を最終ラインで重用したり、安在和樹藤本寛也林昇吾らを逆足の右サイドに配置し、インスイングのボールで相手守備陣を攻略したりと、レフティ起用の巧みさは実に見事で、現代サッカーにおける利き足の重要性を改めて教えてもらえました。試合終盤、リードを守り切るために綺麗な5-4ブロックが並ぶ光景も、なかなか今までのヴェルディでは見られなかったものでした。

ただ、その守備的なイメージに反して、仕込んだ策がハマらずあっさり崩されたり、無駄なファールを嫌うあまり、ボールに寄せきれずに強烈なミドル食らったりと、意外とバカ試合も多かった印象です。また、フィニッシュの局面は選手の質ありきの印象も強く、その至らなさを最後の磐田戦で咎められた、とも言えます。さらには、ロティーナがヴェルディに守備の規律を仕込んだという”幻想”が、その後の数年間にわたってこのクラブを苦しめることにもなります。

それでも、彼がチームを率いた2年間は、僕にとって間違いなく美しい思い出です。僕がサッカー観戦で初めて涙を流した試合、クラブ初の昇格プレーオフ進出を決めた2017年の徳島戦ですから。勝利後の挨拶で、スタンドからじわじわと湧き上がるロティーナコールも好きだったなあ。

彼にはセレッソや清水でぜひとも成功を収めてほしかったですし、今フラメンゴでアシスタントコーチの座に就くイバンにも、幸せなキャリアがありますように、と願うばかりです。

 

ギャリー ジョン ホワイト

在任期間:2019(シーズン途中解任)

通算成績:7勝7敗8分

1試合平均得点:1.32/ 1試合平均失点:1.36

 

偉大なるスペイン人指揮官の後を継いだのは、英国からやってきた新進気鋭のラーメン大好きマンでした。

彼の仕事ぶりをどう振り返るべきなのかは、とても難しいです。

まず、クラブからのサポートが十分でなかったのは間違いありません。選手補強の内容もそうですし、ヘッドコーチのボリスがクラブを離れる事態になってなお、後任すら連れてこなかったのは、どう考えてもフロントの怠慢でしょう。

「2年かけて守備の仕方を学んだチームに、次は自発的なアクションアグレッシブさを求める」という彼のアプローチについても、理解できるものでした。開幕戦の”町田スペシャル”をはじめ、彼が学んできた戦術的な引き出しを駆使しようと腐心する姿も見て取れました。ただし、選手からの求心力はイマイチなのかなあみたいな空気も、正直感じてはいました。そして、ロティーナが授けたと思われていた守備の原則すら、日に日にぼやけていくように思えました。

彼の就任に伴い、細かい制約が課せられていたチームに、一定の自由がもたらされました。その結果、ヴェルディ佐藤優平のチームになっていった、と個人的には思っています。

彼はJ1でも十分通用するほどのキック精度を持ち、労を惜しまず走る献身性も兼ね備えた選手でした。とはいえ、彼を現代型の司令塔と呼ぶには、あまりにもピッチ上での動きが奔放すぎたと思います。ボールにどんどん近づいてしまい、トランジションの局面でいてほしい場所にいない。扱いが難しい選手なのも、また事実でした。

僕はロティーナの下で輝く優平が大好きだったので、この変化はあまり歓迎できるものではありませんでした。失礼な言い方ですが、これがフッキのようなずば抜けたタレントだったら別ですが、優平依存を強めた先にJ1があるとも思えなかったので。

そうしたチームの変化を制御できなかったことを、ホワイト監督の力不足と総括するのは簡単ですし、その後の彼のキャリアがいまいちパッとしないところを見ても、その結論が正しいのかもしれませんが、「クラブがなにかを勝ち得たように見えても、それはいとも簡単に崩れ去るものなのだ」という教訓をもたらした存在であることは、我々も折にふれ思い出す必要があるのだと思います。

 

永井 秀樹

在任期間:2019-2021(シーズン途中解任)

通算成績:30勝32敗27分

1試合平均得点:1.30/ 1試合平均失点:1.36

 

これまた評価の難しい監督です。

まず、監督としての永井さんには、2つの側面があったと思います。ひとつ目は、ペップ・グアルディオラの信奉者として、最先端の欧州サッカーを探求し、そのスタイルをチームに落とし込みたいという、戦術オタク的な一面。そして、もうひとつが、誰よりもヴェルディを愛し、その復活を自らの手で成し遂げたいという、情熱家としての一面。そして、悲しいかな、この2つの要素は絶妙に食い合わせが悪かったのではないか、と考えます。

彼の戦術面におけるアプローチって、実は結構オーソドックスなものだったと思うんですよね。ロティーナ時代から手つかずになっていた崩しの仕込みなんかにも、イチから辛抱強く取り組んでいたと思います。もちろん、戦術家としての野心的な策も見られて、たとえば2021年の開幕戦で見せた加藤弘堅のCB⇔ボランチ可変なんかも、めちゃくちゃ面白いなあと感じていましたけど、本質的には欧州のトレンドを押さえたロジカルなサッカーを志向していたんだろうな、と解釈しています。

そして、おそらく彼の強い野望だったであろう、名門ヴェルディの再建。彼が2021年のシーズン開幕前に発した「僕の理想は異常なほど高い」発言に対し、僕は「その表現は、監督のエゴでしかないだろう」と納得がいかなかったのですが、それも”強かった頃のヴェルディが有していた、サッカーに対する向き合い方を基準にしたい”という彼の意思の表れだったんだろうな、と今では思います。

ただ、この2つが合わさった結果、彼が落とし込もうとしている戦術が、なにやら崇高で難易度の高いものと受け取られてしまったのではないか、と。それゆえに、選手たちも、だんだんと対戦相手に向き合うのではなく”自分たちのサッカー(らしきもの)の達成”に溺れていったのではないか、と感じています。まあ、この辺は永井さんの言葉選びもあまりうまくなかったのは否めないですし、なんなら彼自身が己の発する言葉に、変な風に囚われすぎていた印象すらあります。

この頃の僕は、永井さんに対して懐疑的だったことに加え、コロナ禍で無観客試合・声出し禁止といった異例の措置が講じられていた時期だったこともあり、お世辞にもヴェルディ熱が高いとはいえない時期でした。そんな僕のサポーターとしての自尊心を保ってくれたのが、小池純輝梶川諒太の活躍ぶりでした。ともにベテランの域に達してなお、日々全力で練習に励み、ピッチ内で結果を出し続ける。そして、ピッチ外でも「F-connect」を立ち上げ、精力的に社会貢献活動に取り組む。まさしくプロアスリートの模範といえる存在でした。たとえ愛するチームの成績が不甲斐なくても、その中に誇らしく思える存在がひとつでもあれば、サポーターの心はなかなか離れないものです。

話を戻しますが、もし永井さんの指導者としてのスタート地点が、ヴェルディではなく他のクラブだったら、評価も違ってきたのかな、とか。あるいは、少し古臭いタイプの華美さを好むISPSがスポンサーの時代だったら、また違ったサッカーが実現したのかな、とか。“ヴェルディメソッド”なんてものの定義に取り組んでいた時期だったのも、ちょっとタイミングが悪かったよな、とか、とにかくいろんなことを考えてしまいます。なにより、彼がとりわけ強い期待とプレッシャーをかけ続けた森田晃樹が、チームの象徴にまで成長した今、永井さんにはまた当時とは違った思いを抱くんですよね。

 

堀 孝史

在任期間:2021-2022(シーズン途中解任)

通算成績:12勝13敗11分

1試合平均得点:1.67/ 1試合平均失点:1.61

 

狂人を自認する前任の永井さんより、よっぽど静かな狂気を感じる人でした。伝説の「センターバック佐藤優平」も彼が監督の時だし。ボールを拾いに、ナチュラルにピッチの中入っちゃうし。

僕は堀さんのサッカー、嫌いじゃなかったんですよね。特に、2021年終盤〜2022年序盤のチームは、新井瑞希が22年のアウェイ山形戦の後で「2点取られても3点取り返せるんで」と豪語したように、好調時の永井サッカーをさらに派手にしたようなイケイケサッカーをしていて、マテウスが謎に干されていたこと以外は割と好みでした。

ただ、いい意味でも悪い意味でも「俺はこういうチームを作りたいんだ」というエゴが見えづらい人でした。永井サッカーをいい塩梅に微修正したのは見事でしたし、それで結果が出ているうちはよかったのですが、いったんネガティブスパイラルにハマってしまったチームを立て直す力量は、残念ながらなかったように思えます。なるほど、これが良くも悪くもプロの火中栗拾い男・・・!と妙な納得の仕方をしたものです。

あと、後任の城福さんを見ていて改めて思うのですが、堀さんが現場のトップだと、フロントとのパワーバランスが悪かったのではないかなあ、と。これは前段ともつながる話ですが、堀さんってあまり強く選手獲得のリクエストをするタイプには見えなかったんですよね。GMの江尻さんだって、チーム構想の絵を描くというよりは、絵を描くのに必要な材料をかき集めるのが得意なように見えるので、城福さんみたいなタイプとタッグを組むほうが真価を発揮すると思うんです。堀体制だと「じゃあとりあえず明治コネクションで選手獲ってくるかあ」みたいな感じだったのかな、とか。ま、完全に妄想ですけどね。それに、明治繋がりで来た選手、みんな好きだったし。

先ほど書いた通り、ヴェルディは22年の4月から失点が止まらなくなる負のスパイラルに突入し、堀さんは6月に解任の憂き目に遭います。そして、後任としてあの男がやってくるのです。

 

城福 浩

在任期間:2022-現在

通算成績:56勝40敗40分

1試合平均得点:1.16/ 1試合平均失点:1.01

 

2022年6月、正式に就任が決まったときの温度感を、皆様は覚えていますでしょうか。開幕前に一部報道で名前が出ていたこともあり、決して驚きの人事ではなかったのでは、と思います。

もちろん、国内屈指のキャリアに敬意を表し、歓迎する声は多かったと思いますが、やはり「FC東京の人」という印象が色濃く残っていたりとか、直近の広島でのマイナスイメージ(特におこしやすに惨敗した天皇杯での姿が記憶に新しかった)もあり、大いに沸き立ったとまではいかなかったかな、と。

結果的に、東京ヴェルディ16年ぶりのJ1に導き、昨年は6位と望外の躍進。今シーズンも、シーズン途中での主力の引き抜きに苦しみながらも、残り3試合の時点で残留を確定させました。間違いなく、このクラブの歴史に名を刻む名将といえるでしょう。

彼がヴェルディに来るまでのキャリアについて、僕はなにかを論じられるほどの知識はないですが、個人的に持っていた断片的なイメージからすると、ここに来てからの仕事ぶりは少し意外でした。というのも、「ムービングフットボール」の言葉に代表されるように、城福さんはピッチ内で表現されるサッカーのスタイルに、かなりのこだわりを持つ監督だと思っていたからです。

これは良くも悪くもなのですが、城福さんが普段発する言葉とは裏腹に、実際にはピッチ上で表現されるサッカーのスタイルに、そこまでこだわりがないように思えてしまいます。より正確に言うと、理想として掲げるサッカー─“ヘソ”を使って前進していくスタイル─自体はブレていないものの、うまくいってなくてもそれはそれでええわ、と腹を括ってるというか。細かい戦術的な落とし込みに関しても、彼のアイデアというよりは、むしろオグベンさんや和田さんといったヘッドコーチの影がちらつきます。もちろん、「闘う」「寄せる」「走り切る」といった姿勢については、常に選手たちに強く求めているものの、戦術家としての城福さんの色は意外と薄いよな、とか思っています。

昨年のヴェルディの躍進を「城福マジック」と表現するメディアもありましたが、個人的にはちょっと違和感があるんですよね。というのも、城福さんが就任して以降のチームは、基本的に個の質で勝ってきたチームだと思っているので。

圧倒的なタレントこそいないものの、森田晃樹谷口栄斗をはじめとした昇格時の面々って、元々J1でも十分通用する能力を持っていた選手たちだと思っているんです。昇格後に加わった選手たちだって、たとえば山見大登木村勇大なんかも、前所属では出場機会を減らしていたとはいえ、アマ時代の評価は超一級品だったわけで。城福ヴェルディのひたむきさの象徴として語られる松橋優も、実は01世代のヴェルディユースで10番背負ってたエリートだしなあ、とか。生粋の叩き上げキャリアの千田海人なんかは、むしろレアケースな気もするんですよね。

とにかく、そうした選手たちを120%走り切らせることで、選手の質に見合った結果を手にしているチームなのであって、その能力以上の化学反応を起こしているわけではない、と思っています。これは全然貶しているわけではないですよ。選手の力を限界に近いところまで引き出すマネジメントができる監督なんて、J1でもごく限られていると思うし、強化部に対する妥協なきリクエストと、日々のハードなトレーニングが、チームの個の質を担保しているのも間違いないと思うので。冒頭に書いたビエルサの言う”チームの感情コントロール”という点については、文句なしの手腕を見せてくれていると思っています。ただ、クラブ規模や人件費といった情報にばかり目を向けて、今いる選手たちのクオリティに言及しないのも、それはそれで失礼だと思うので、あえてこんな書き方をします。

なので、同じ志向かつ個の能力でさらに優るチームや、崩しの形がしっかり仕込まれているチームに対しては、この先も苦戦を強いられるのかなあと思います。まあ、今年こてんぱんにされた柏レイソルのように、スタイルが確立されたチームは一つの理想ですけど、そのやり方に適した選手を揃えるのって、やっぱりお金がかかっちゃうと思うんですよね。投下できる予算を最大化する必要がある我がクラブにとって、城福さんのような指揮官はベターだと思っています。

もちろん、この先も、獲得する選手の質自体は問われてきます。荒っぽい言い方ですが、どんな選手でもとりあえず城福さんに預けておけばなんとかしてくれる、なんてことはありえません。強化部が少しでも後手を踏めば、このクラブはJ1に留まることはできないでしょう。今年、明治大学の島野怜にオファーを出していたようですが、彼のような世代No.1級の選手を迎え入れることは、今のクラブにとって最重要ミッションであり、この先も辛抱強く声をかけ続けていく必要はあると思います。

また、ピッチに立つメンバー選考の軸に関しても、僕は彼の頑固さを信用していますし、その姿勢がこのチームのインテンシティを保つために必要なことも、重々承知しています。なので、成長に期待をかけて若手を辛抱強く起用したり、ウィークポイントに目を瞑ってピッチに送り出すみたいなことは、あまり期待していません。ただ、それこそ森田晃樹だって、至らない部分がたくさんある中で、時にサイドバックまで経験させた結果、現在のような強度とテクニックを兼ね備えた好選手が完成したわけで、今いる若手選手の成長に関する懸念は、ちょっと抱いています。ま、その辺については、来年から始まるU-21リーグが、ひとつ鍵になりそうですね。

 

現在J1監督最年長の64歳。もちろん、指導者としての強い熱意や意欲はまだまだ存分に感じられますが、とはいえ先のことはわかりません。

なにより、城福さんが口酸っぱく言う「靴一足分の寄せ」や「頭から湯気を出して全力を出す」といった姿勢は、本当にこのクラブにちゃんと根づいたのだろうか、とか。過去の監督の変遷について書いてみた今、改めてそんな不安をぼんやりと感じます。

 

それと、城福さんの仕事ぶりに対して毀誉褒貶があったって、個人的には全然いいと思うし、健全だとすら思うんですよね。

ヴェルディをJ1の舞台で闘わせてくれている、そんな彼の功績に改めて敬意を表し、これからさらに在籍日数を積み上げていってほしいと願うこと。一方で、我々サポーターが現体制のどういったところを称賛し、また、どういったものをさらに求めていくべきなのか、やいのやいのと議論すること。この2つは、決して矛盾しないと思っているのです。

長々と書きましたが、城福さん、とにかくヴェルディに来てくれてありがとうございます、って言葉だけは、結びとして記しておきたいです。

 

 

以上、合計約18,000字!!こんな長い記事を読んでいただいてありがとうございます。皆さんのヴェルディ思い出話だったり、それぞれの監督に対する評価なんかも、たくさん聞かせてもらえたら嬉しいです。それでは!

 

 

 

 

 

 

改めて、こんな長ったらしい記事の、さらに長ったらしい追伸に目を通してくださり、ありがとうございます。

今年の4月に子供が産まれ、同時に妻が入院しました。この半年間はひたすら育児に奔走しており、満足にヴェルディの情報を追えていないときも多々ありました。なにより、頭に浮かぶあれやこれやを、しっかりと整理してアウトプットする時間がとれなかったのが、自分にとっては結構辛かったです。もちろん、育児に終わりはありません。これからも、落ち着いてPCの前に座り、サッカーについて、ヴェルディについて、じっくりと思案できるタイミングは、ごく限られてくると思います。

それでも、やっぱりこの先も、時間が許す限り、こうした文章は書いていきたいです。客観的な事実らしきものを、AIがコンマ数秒で提供してくれる現代だからこそ、あえて偏見に満ちた主観的な文章を残していきたいのです(今回の記事も、いつも以上に”正しさにこだわらない”ことを意識しました)。そして、僕がかつて愛したブロガーたちのように、「文章でサッカーを語る」という文化、その担い手のひとりであり続けたい、と密かに願うのです。

当時は主にfuori-classeというサッカー総合掲示板に入り浸っていたのだけど、そこだけではヴェルディの情報が足りなくて、ヴェルディサポーターのいろいろなブログも巡回していた。

その中でも、まぐさん、蹴球七日。さん(カズモトさん)、緑一色さん(りゅーはーさん)のブログは、欠かさずといっていいほど読んでいた。

(中略)

カズモトさんの蹴球七日。は写真メインのブログだったけど、彼のファインダー越しの選手たちは、どこか柔らかな表情をしていた。おそらく撮り手の人柄がそこに映りこんでいたのでしょうね。

https://midorigachill.hatenablog.com/entry/2024/09/12/184316

 

 

もしよかったら、これからも駄文にお付き合いくださいね。

 

でわでわっ。。

 

 

5474日と、365日。(俺たちのストーリーは続く)

 

決してエレベータークラブになってはいけない

ここから新しいサッカーをやって、優勝を目指してやらなきゃいけない

 

1年前のあの日、激闘を終えた選手たちを従えながら、感極まるサポーターに向かって、城福浩は、そう叫んだ。本当の闘いはこれからなのだと、その血走った目が訴えていた。

その言葉に頷きながらも、どれだけの人間が、あの瞬間、既に未来に向けて気持ちを切り替えられていただろう。「そうだ、次の目標はタイトルだ」と、心から思っていただろう。

あの時、俺たちが長年焦がれ続けてきた「J1昇格」というひとつの夢が叶った。それだけでひとまずはもういいのだ、これから苦しい未来が待っているだろうけど、そんなことは覚悟のうえで、今はこの喜びに浸っていたいんだと、俺は涙を流しながら思っていた。

 

人を謙虚に、ともすれば卑屈にさせるには、5474日という期間は、あまりにも十分すぎたのかもしれない

 

 

あの日から、365日が経った。

 

 

・・・

 

ひたむきさは、人の心を動かす

16年ぶりの舞台に立った選手たちも、決して自信に満ち溢れた者ばかりではなかったはずだ。少なくとも、シーズン序盤、このチームは深刻な脆弱さを抱えていた。そんなチームが、徐々に勝ち点0を1にし、1を3にする術を覚え、最終的に一桁順位を確定させたのは、ひとえに指揮官の情熱と、諦めの悪さがあってこそだろう。「サプライズを起こす」という彼の言葉は、現実のものになった。

今年のチームの中心は、アカデミー育ちの選手だったヴェルディ生え抜きの森田晃樹がキャプテンとしてチームを率い、同じくずっと緑の血の男、谷口栄斗が、彼を副将として支えた。大学を経て“古巣”に帰還した綱島悠斗が台頭し、ヴェルディジュニアにいた木村勇大が前線の核として君臨した。

ヴェルディ下部組織からは、過去にもたくさんの逸材が生まれてきた。俺たちは、彼らに夢を託した。クラブもまた、彼らにチームを背負わせようとした。そして、その試みは、最終的にいつも失敗に終わった。

それでも、たとえどんなに落ちぶれようと、消滅寸前にまで追い込まれようと、育成組織が生んだ才能が「名門復活」の狼煙をぶち上げるというストーリーは、俺たちにとって一縷の望みであり続けた。それがついに結実したシーズンだった。その脚本を描き、成り立たせたのも、彼らを中心に据えた城福浩の覚悟、そして常軌を逸したパッションがあってこそなのは、いうまでもない。

 

僕と(谷口)栄斗という、アカデミー出身の選手がキャプテン、副キャプテンとしてトップチームを引っ張って戦い、ヴェルディをJ1に上げることができれば、このクラブの育成組織が素晴らしいということの何よりの証明になると思う。その意味でも、僕がキャプテンをやることでクラブにとっても大きな意味を持たせることができるんじゃないかと思います

アカデミー時代から緑のDNAを刻み込んできた生え抜きのキャプテン。東京ヴェルディ・森田晃樹が考える「ヴェルディのリーダー」像 - footballista | フットボリスタ

 

 

ひたむきさは、人の心を動かす

味スタのコンコースに人があふれるようになった。ゴール裏を染める緑色の面積が、日に日に大きくなっていった。ウォームアップに出てきたマテウス・ヴィドットが、今までより少しだけ長く、じっとゴール裏を見つめるようになった。

試合中、ふと跳ねるのをやめて、水を飲みながら周りを見渡す。右を見ても、左を見ても、ゴール裏の端のほうまで、老若男女たくさんの人間がピッチを見つめながら、一心不乱に跳ねて歌っている。

俺らのチャントって、満員のゴール裏で歌ったら、めちゃくちゃ格好いいはずなんだよな」って、ずっと思っていた。その夢が、ついに叶った。いちチャントに過ぎなかったCOBRAが、俺たちの新たなアンセムになった。「なんだか満たされてしまった気分になるな」じんわりと涙が浮かぶ。

「不人気クラブ」「迷門」「万年J2」散々バカにされてきた5474日間だった。とても辛かったけど、単に蔑まれるくらいだったら、俺は別にどうでもよかった。

だけど、わずか3000人にも満たないサポーターたちが、スポンサーに向けてずっと拍手を続けることを”ダサい”といわれることだけは、我慢ならなかった。どんなに不甲斐ない敗戦を観たその直後だろうと、スタジアムの出口で声を張り上げて、懸命に次のホームゲームの告知をするサポーターたちを、ダサいといわれるのだけは、許せなかった。俺たちの、必死の愛ゆえの行動を、てめえらの薄っぺらい価値観で嗤うんじゃねえ、このクソが。そう思ったのも、一度や二度ではなかった。

俺はヴェルディが好きだし、ヴェルディサポーターが好きだ」そう思い続けてきた自分のサポーター人生が、いや、俺たちみんなのサポーター人生が、完売したゴール裏を目の当たりにして、ついに肯定されたような気がしたのだ。長年俺たちが紡いできたストーリーの延長線上に、本当にこの景色があったのだ。

「・・・だから、俺も負けてらんねえよな」とか思いながら、また声を出して、跳ねる。

今年は、その繰り返しだった。

 

一昨日のホーム最終節は、バクスタから見届けた。
満員の1Fゴール裏に広がるコレオ、
そして、タオマフを掲げ、手拍子で選手を鼓舞するバクスタ。
ついに俺たちは味スタのキャパを持て余すクラブではなくなった



もちろん、この365日には、悲しいこともあった。

オフには小池純輝が、梶川諒太が、そして夏には平智広が、チームを長く支え続けてきた男たちが去っていった。残酷な別れだった。彼らのことを胸に刻みながら、とはいえしっかりと顧みる余裕すらろくにないまま、俺たちはシーズンを走り抜けてきた。美しかった瞬間を、ただ美しかっただけで終わらせないためには、時に非情な決断を要するのだと、痛感した1年でもあった。

 


それでも、総じて本当に楽しいシーズンだった

人生は甘くないのだと嫌というほど学んできたはずの俺たちが、これほどまでに甘美な気持ちに浸れる、そんなチャンスなんてなかなかないじゃないか。そう思って、ホーム味スタだけでなく、アウェイの地にもたくさん足を運んだ。勝利のラインダンスを踊りながら、なんだか未だに夢を見ているんじゃないかって疑ってしまったりとか、「今日こそはそろそろ虚無試合を見させられるのではないか」と、心の中で予防線を張ったりする癖は、最後まで抜けなかったけれど。

自分でも読み返して恥ずかしくなるくらい、ポエムまがいの文章もたくさん書いた。そして、美しい文もたくさん読んだ。俺はヴェルディサポが書く文章を読むのが好きで、それで自分でもブログを始めた人間だから、たくさんの方がヴェルディについてそれぞれの思いの丈を綴っているのを見て、本当に嬉しかった。人は、心を揺さぶられた時に筆を執る。俺みたいな性根のひん曲がった人間に、到底似つかわしくないような熱い文を書きたいと思わせる。それだけの説得力が、今年のチームにはあった。

 

ただ、あの日の城福さんの言葉を、もう一度振り返りたい。

 

エレベータークラブになってはいけない」

その目標にすら、このクラブはまだ第一歩を踏み出したばかりにすぎない。俺たちは依然スモールクラブだし、一寸先は闇だ。

 

そして、もうひとつの言葉、「優勝を目指してやらなきゃいけない」

先日、江尻篤彦GMの口からも、その二文字が出た。途方もない道のりだ。本来なら、このクラブの身の丈には到底あわない目標だ。どこかで歯車がかみ合わなくなったら、どこかで慢心が生まれたら、このクラブはあっという間に奈落の底まで転げ落ちる。俺らの脆弱さは、綺麗さっぱり消えたわけじゃない。一昨日の試合だってそう、このクラブが抱える脆さが改めて浮き彫りになった。そんな恐怖と隣り合わせにいながら、俺たちは「優勝を目指す」って、口先だけじゃなくて本気で言わなきゃいけない。それは、絶対に楽なことじゃない。夢みたいなシーズンだなんて、いつまでも言っていられない。だけど、そんな目標が決して絵空事なんかじゃないことも、今年のチームが示してくれた。だから、俺もなるべく卑屈にならず、ヴェルディのことを誇りに思いながら、でも、俺が愛してきたヴェルディサポーターの姿勢、たとえばスポンサー様への感謝だったり、お客さんがたくさん来てくれることへの感謝だったり、5474日間で培った謙虚さだけは絶対に忘れないようにと肝に銘じながら、このクラブとともに、これからの人生を歩んでいきたい。その延長線上に、いつかタイトルを取るクラブの姿があれば・・・なんて、そんなことを考えている。

 

・・・

 

今週末の最終節、俺は残念ながら現地には行けない。だから、京都に行かれる方は、代わりに今年のヴェルディの集大成を見届けてきてほしい。そして、選手たち、スタッフたちに、ありがとう、そしてお疲れさまって、伝えてきてほしい。今年のチームにいったんお別れをしなければいけないのは寂しいけど、それでも、東京ヴェルディというクラブ、その新たな歴史の1ページを綴り始めたのはお前たち全員なんだ、お前たちの名前は未来永劫刻まれる偉大なものなんだって、そんな気持ちを伝えてきてほしいし、願わくばそのストーリーの続きも一緒に歩んでいきたいんだ、頼むぜ、って、彼らに伝えてきてほしい。

ヴェルディユースの昇格戦も、ぜひ応援してほしい。俺たちの歴史の新たな担い手が、そこから生まれるだろうから。ヴェルディアカデミーの選手がチームを背負うというその意義を、今年俺たちは改めて理解できただろうから。

 

 

とにかく、忘れられない年の締めくくりに、シーズン開幕直前のブログに記したこのクサいセリフを、もう一度吐きたいと思う。

 

 

愛するものがある人生は、幸せだ

 

 

今なら、本心から、そう言える。

 

 

 

・・・

 

最後に、少しだけ、自分のことを書かせてください。

この美しい365日を、12人目の選手として過ごせたことを、僕は誇りに思います。なんだか日々偉そうにブログやnoteを書いてますけど、僕は元々年に10試合くらいしか現地に行かない人間で、今年が一番スタジアムに通った年でした。

嬉しいことに、リアルでお声がけしてもらう機会もたくさんありました。人見知りはなかなか簡単には治らないものですが、どれもとっても楽しかったですからね。ありがとうございました。

 

そして、この幸せな365日を過ごす中で、妻との間に小さな命を授かりました。

 

順調にいけば、来年の4月頃から、少なくとも向こう数年間、僕は今年のような“当事者”ではいられなくなります。

それは僕らにとってとても前向きな変化なのですが、ここからさらに新たな歴史を積み上げていくであろうヴェルディのことを思うと、一抹の淋しさがあります。

でも、僕がスポーツクラブを愛するというその意味を、自分の子どもがなんとなく理解してくれるようになるまでは、まずは家庭を優先し続けたいなあ、なんて思います。まあ、時には育児をほっぽってスタジアムに駆けつけることもあろうかと思いますが・・・ごめん、妻。

 

そして、次は「あの日」から何日後になるかわからないけど、いつか自分の子どもの手を引きながら、緑色に染まるスタジアムのゲートをくぐりたいのです。

そして、その先には、城福浩が叫んだとおり、J1優勝を目指して懸命に戦うチームの姿があってほしい。

その日が来るまで、今年の美しい光景が続きますようにと、ヴェルディを愛するたくさんのみなさんに、願いを託したい。託させてください。ね?

 

2024.12.2

あの日から1年、大好きな大好きなクラブが、和やかにJ1最終節を迎えられることを、心より幸せに思いながら

 

 

 

今年は閏年だったから、実はプレーオフ決勝から366日経ってるよ、とか、野暮なことはどうか言わないでほしい