緑がちる

緑はいつか散ります。でもまた実るものです。ヴェルディ&FM日記(予定)

不人気な東京ヴェルディの未来は“カルトブランディング”にあるのか?

俺は東京ヴェルディという、ここ10年以上2部リーグでパッとしない成績に終始し、

何より東京という大都市に本拠地を置きながら、とにかく観客動員数に伸び悩むクラブを長年応援しているわけだが、

”不人気”と散々揶揄されようと俺はこのクラブが好きだし、とはいえガラガラの味スタを見て「ヤバいよなこのクラブ」とは思ってしまうし、だからといって何かアクションを起こすようなこともない怠惰な野郎なのである。

だが先日、同じようにこのクラブを愛し、同じように危機感を抱き、そして俺と違いしっかり行動している人間のnoteを読んだのがきっかけで、改めて今後のヴェルディの在り方をもう少し考えてみたい、と思った。

ちなみに、その記事はこちらである。

この方と直接面識はないが、小さいころから熱心にヴェルディを応援し続ける(確か中学生くらいの頃からTwitterやってなかったかな?)現役京大生だそうで、他にもサポ同士の交流会を企画されたりしてるみたい。

こんな不人気チームの行く末を憂う作業などは、俺のような三流私大卒アラサー野郎に任せておいてもいいのだが、とにかく現状打破せねば、というその情熱と行動力には頭が下がる。

 

一方、駄文を連ねるくらいしか能のない俺は、ある本を読みながら、ヴェルディの未来について漠然と感じたことを記したい、と思っていた。

その本はこちら。

※ちなみに、このリンクを踏んでも俺には一銭も入ってこない。ブログの収益化には興味がない。

 

”カルトブランディング

 

こんなご時世においてとても刺激的なワードであり、実際そのタイトルに惹かれてこの本を購入したわけだが、その実書かれていることは至極真っ当であり、そしてヴェルディはじめ全てのプロスポーツクラブに対しても、その在り方を問う一冊となっている。

では、カルトブランディングって何よ、っていうお話と、その手法をヴェルディに当てはめるとこんな感じですかねえ、っていうお話を、これから書いていきます。

ただ、その行為がヴェルディの未来の何を変えることになるんだ、と聞かれると、返す言葉がない。だって、ブランディング論は俺たちサポーターが何かできることじゃないから…。強いて言うなら・・・問題提起?

あと、なんか偉そうな文を書いてるんですけど、俺、この手の話についてはズブの素人なもので、知識不足理解不足が多々あると思います。先に謝っておきます。ごめんなさい。

足りない頭で咀嚼して書いた見苦しい文章ですが、できれば読んで頂いた皆様にも、その知見を分けて頂きたい。

 

「カルトブランディング」とは?

カルトブランディング・カルトブランドの定義

まず、この怪しげな用語の定義について。

本書によれば、この「カルトブランド」という概念は

顧客のグループが大きな献身を示すブランド」であり、かつその献身が排他的なものである必要がある

とのこと。

北米では結構ポピュラーな概念らしく、もちろんとてもポジティブな意味で使用されている。

この本の中でも引き合いに出されているが、それこそ信者化したフォロワーを全世界に抱えるAppleなんかは、カルトブランドの最たる例であるといえよう。他にもスズキの”ジムニー”や”ハーレーダビッドソン”、NHLの”ベガス・ゴールデンナイツ”やコーヒーブランドの”デス・ウィッシュ・コーヒー”といった名前が、この本では挙げられている。

こうした”好きなブランドのためなら身を捧げる信者”を生むプロセスが「カルトブランディング」であり、そうして生まれた信者は、自発的にそのブランドの”伝道師”としての役割を担うのである。

マスメディアを用いた大々的な広告が決して効果的でなくなり、その一方口コミやSNSでのインフルエンサーや友人の発信が行動原理となりうる現代において、

ファンがメディア化して、その魅力を世に広めてくれる、というのは理想的な状態であり、これを目指すのがカルトブランディングである。

 

ま、”ブランディング”という行為自体が、

そのブランドならではの独自の役割を築き「できるだけ多くの人に」「できるだけ強い」感情移入を促す取り組み

ブランディングとは?10個のメリットと21の戦略手法|全手順 - Mission Driven Brand

であるから、

カルトブランディングというのは、一般的なブランディングの概念の延長線上にあるもの、と言えよう。

 

なお、tkq氏のツイートを引用するまでもなく、”ファン”あるいは”サポーター”という、自発的に献身を示す信者たちを抱え、敵を倒すことを目的とするプロスポーツクラブは、こうした”カルトブランド”の要素を元々含んでいる、と思う。

だが、そういった要素だけではなく、カルトブランドには、

・そのイデオロギーが革新的であること

・明確なコミュニティーを持っていること

の2点が求められる、とのこと。

例えばとある商品がいくら売れていようと、あるいはあるクラブがいくら多くのファンを抱えていようと、この2点がないことには”カルトブランド”とは定義されず、ファンが伝道師となり、さらにブランドが育っていく流れはなかなか望めない。

破壊的カルト≠カルトブランド

イデオロギー”や”コミュニティー”といった、カルトブランディングのポイントについては後述するとして、

前置きしておくと、こうしたカルトブランドは、一般的に連想される”カルト”・・・つまり、信者の骨の髄までしゃぶりつくすような”破壊的カルト”とは異なり、

洗脳」や「時間や金銭の搾取」といった事柄とは無縁であり、信者たちに「他者の強引な勧誘」を強いることもない。

あくまでカルトブランドが重視するのは、

・革新的な価値観・世界観を世に伝えること

・その世界観を生み出す自社ブランドの文化を重んじること

・そして、信者である顧客のエンゲージメントを高めること

であり、それに魅了された信者の自発的な行動により、さらにその知名度を拡大させていく。

それこそ「カルト的な人気を有する」なんて形容をされる映画やバンドだって、こうした姿勢を貫いたが故だったりしますよね。

カルトブランドに関するさらに詳しい説明は、上記の本を読んで頂くか、その著者が書いた下記リンクを見てほしい。

顧客を「信者」にするカルト・ブランディング その定義や一般的なブランディングとの違いとは? | 株式会社クマベイス

スポーツクラブにおけるカルトブランディングの可能性?

先程のtkq氏のツイートの話に戻るが、

まあ今までもこれからも、プロスポーツクラブは(ともすれば破壊的な)カルトの要素を含んでおり、そのファンというのはすなわち「信者」なわけだけど、

少なくとも日本のプロスポーツ、例えばNPBJリーグにおいては、クラブの本拠地に対する郷土愛ゆえファンになるというケースが多いように思われ、

それこそカルトブランドのような「クラブが主張するイデオロギーに共鳴してファンになる」みたいなケースは少数だと思う。もしかしたら「スピリットオブジーコ」に象徴されるような勝利至上主義を掲げる鹿島アントラーズあたりは、そういうサポも多いのかもな?

 

ただし、これからの時代は、そうした郷土愛・地元愛に訴えかけていくだけではジリ貧であり、

無理やりなこじつけでアレだが、

こうした「カルトブランディング」の考え方のもと、クラブが先鋭的かつ訴求力のある新しいクラブの在り方を提示し、それにファンが共感し、熱狂の度合いを高めていくという方法をいち早くとったチームが、これからの時代を生き抜いていくのではないか、と思った。

ましてや、郷土愛の薄い人間が集まる東京で、しかも一度地元にそっぽを向かれ、今なお到底ホームらしからぬ雰囲気のスタジアムを本拠地とする、とある緑色のクラブに関してはなおさらである。ま、そのことはまた後で話すとして。

 

カルトブランドのキーワード

先程ちらっと触れたが、カルトブランドの構成要素について、同書に記されていたものの中から、いくつかのキーワードを挙げて紐解いていきたい。ほぼ本書の受け売りです。すみません。

革新的なイデオロギー

カルトブランドに求められるのが、そのイデオロギー(≒主義主張)の新しさである。

ただ尖っていればいいわけではない。

その主義主張が一部の人間の心を動かし、そのブランドの信者となるだけの意味を創造することが、何より大事である。

環境保護」をブランドポリシーとするパタゴニアによる「自社製品を買うな」という広告。象徴的な企業によるイデオロギー主張である。https://note.com/offtopic/n/n3f622fb310daより引用。

 

異端児であること

イデオロギーの話にも通じるが、業界内における独自のポジションを確立するのも、カルトブランドにおける重要な要素である。

コミュニティーの存在

そのブランドを愛する人間たちのコミュニティーの存在も、カルトブランドの必須要件となる。

コミュニティー自体は、ブランド自らが立ち上げたものもあれば、顧客たちが自発的に立ち上げたものもあるだろう。サッカークラブでいえば、前者がファンクラブ、後者がサポーター団体となるだろうか。

そして、大切なことは、そのコミュニティーに対し、ブランド自らが積極的にそれをサポートし、常にコミュニケーションをとることである。

強力なリーダーシップ

あるいはカリスマ性、とも言い換えられるかもしれない。

ブランド自らが主張・行動によってリーダーシップを発揮するケースもあれば、そのブランドの創業者や経営層がそれを示す場合もあるだろうが、いずれにせよ、自らの信念のもと、周りを巻き込み動かしていくエネルギーがそれらには求められる。

敵の設定

ビジネスもスポーツも勝負の世界、敵が存在するのは当然であるが、その敵と戦う姿勢が、顧客に熱烈に支持されることが何より大事となる(つまるところ、スポーツでいえば、単なる対戦相手というだけでは役者不足であり、もっと憎むべき存在が必要となる)。その敵に打ち勝った時、顧客のエンゲージメントは一気に高まる。

共感を生むストーリー

顧客のエンゲージメントを高めるために、そのブランドが有するストーリーの存在も、とても重要な要素である。同書内には、

「カルトブランドを”信仰の対象”と捉えた時、ストーリーは”神話”とも置き換えられる」

と記されている。

ライフスタイルの提示

上に記したNHLのゴールデンナイツは、ファンのライフスタイルを分析し、正確に設定することで、日常で使用できる多種多様なオリジナル商品を販売しているらしい。ブランド自身がライフスタイルを提示し、ブランドに触れる機会を長くすることで、よりエンゲージメントを高めていく、という算段だ。

ブランド自身のプロダクト・顧客に対する”愛情”

カルトブランド云々の話に留まらない話だが、ブランドに関わる人間が心からブランドを愛し、そしてそれを提供する顧客・コミュニティーを愛することが、顧客を信者化するにあたって大前提となる。

FC東京とカルトブランディング

さて、このキーワード群を見ながら、プロスポーツの世界にこれを当てはめた時、俺の頭の中ではある1つのクラブが合致した。

悲しいかな、それは他でもない、FC東京である。

 

彼らが革新的なイデオロギーを有しているかは、俺自身が勉強不足なので一旦脇に置いておくとして、

その他の要素については、当てはまる点が多いと思う。

例えば、川崎からのこのこと東京に移転してきた緑色のいけ好かないチームの存在・・・それは彼らにとって間違いなく「憎むべき敵」であり、それに打ち勝つことは、彼ら自身の正当性を証明し、結束を高めることができる、あまりに美しいストーリーであった。

そして、FC東京のサポーターを束ねていたのは、植田朝日というカリスマであり、ピッチ内には「キング・オブ・トーキョー」のアマラオがいた。クラブがのし上がるのに必要な、周囲を巻き込むエネルギーを持った人間がピッチ内外に存在したし、そんな彼らを、いうなれば”神格化”させることに成功した、と思う。

シーズンチケットの保有者に「SOCIO」という呼称を与えることによって、他クラブのシーチケホルダーとは差別化されたコミュニティーに昇華し、サポーターの帰属意識をより高めることに成功している点も含め、

FC東京がここまでのビッグクラブに登り詰めた歴史の中に、カルトブランディングの手法は透けて見える。

そう考えると、昨年のTOKYO12の忘年会のような、ちょっぴり反道徳的な行為だって、世間から叩かれるのも覚悟して・・・というかむしろそれによって生まれるメリットすら考えて、あえてあのようにSNSで「やんちゃなトーキョーの文化を貫き通す意思表示」を発信していた・・・なんて穿った見方すらできてしまう。

もちろん偶発的な要素も多々あるとは思いますが、サポーターのエンゲージメントを高めるには何をすればいいのか、それをフロントやコアサポが研究したうえで、意識的に振舞っているのは間違いないですよね、FC東京さん。

 

東京ヴェルディとカルトブランディング

では、翻って我が軍はどうか。

ここ20年でFC東京に大きくクラブ規模で水をあけられ、2010年にはクラブの消滅危機にまで追い込まれ、今回のコロナ禍でも5億円の債務超過を抱えた結果、現在ゼビオホールディングスを親会社として活動している、そんなヴェルディというクラブだが、

今回のカルトブランディングの話に当てはめると、

・革新的なイデオロギー

・クラブを支えるコミュニティー、それに対するクラブのサポート

いずれも弱いクラブだ、と思う。

 

ただ、あえて前向きに考えるのであれば、既に老若男女多くのサポーター層を抱え、スポンサー企業の幅も多岐にわたるFC東京に比べ、

ただでさえ不人気な我々に関しては、クラブ側が大胆な理念を掲げ、カルトブランドを目指すハードルは低い。チャンスじゃないか、とも思うのだ。

ヴェルディの”イデオロギー”は何だ?

2019年に、東京ヴェルディは「総合クラブ化」そして「ブランディング」を宣言した。

東京ヴェルディの総合クラブ化とエンブレム・ロゴデザイン変更について | 東京ヴェルディ / Tokyo Verdy

ブランディングについては後述するが、この「総合型クラブとして世界一を目指す」というのが、今の我がクラブの理念なのだろう。

(matoさん、何度も引用して申し訳ございません)

ただ、どうですかね、この総合型クラブへの変貌というのは、確かにスポーツ界全体の振興という点で一定の意義は感じられるし、目新しさもあるし、

上記リンクから引用すると、

サッカー業界の垣根を越えて様々なチャネルへタッチポイントを設け収益モデルを拡張するスポーツエンタテイメントビジネスを創出

という、クラブ側としての目論見もあるのだろうけど、

肝心の「サポーターが共感するか?そのエンゲージメントが高まるか?」っていうと、ぶっちゃけ微妙だと思ってる。

もちろん「ヴェルディ」の看板を使って異業種に参入することによって、既存のヴェルディサポーターの流入はあっただろうし、今まで興味のなかったスポーツの面白さに気づける、なんてケースもあるだろうけど、

「総合型クラブだからこそ、私はヴェルディを応援する」とはなかなかならないと思うし、競技間でのシナジーを生むのも意外と難しいように思え、ファンの愛着心を高めるというよりは、むしろ分散させかねない試みだよなあ、って個人的には感じてる。

何より、ヴェルディトップチームがどうなりたいのか、という、根源的な問いに対する回答が見えてこない。

在り方そのものは否定しない。とりわけ、この試みによって、アマダナとの深い繋がりが生まれ、後述するリブランディングに繋がったのは間違いないし、それはとても有意義な点だ。

ただ、その顔となるべき男子トップチームについては、総合型クラブとしての理念とは別に、もっと誰か特定の層に刺さる、尖ったイデオロギーを掲げてほしいのだ。

ヴェルディメソッド”を道半ばにして死なせるな

イデオロギーに関して、もうひとつ忘れてはならないのは、”ヴェルディメソッド”という単語。

同じく2019年からクラブをスポンサードしてくれたAkatsuki、そこから来て頂いた梅本GMは、こんな発言をしていた。

例えば、ヴェルディメソッドというものを作りたいと思っています。

――具体的に説明いただけますか。

梅本GM そもそも私たちが何でここに存在しているのか。何をなすべきで、どうあるべきなのか。そういうビジョンとかミッションを明確にした上で、それをサッカーで表現するとどういうことになるのか、ということを明確にしたいと思います。

 これができると、自ずと、ヴェルディのサッカーのプレーモデルを定義することができ、そのプレーモデルにおいて必要な選手、そのプレーモデルを落とし込める監督、といった人材の定義ができるのではないかと思っています。こういうものがあると、育成年代からトップチームまで一貫性のあるサッカーを作って、ノウハウや人材が積みあがるのではないかと考えています。

(中略)

――ヴェルディメソッドを作り上げるのは、数年かけてということになりますか。

梅本GM いいえ、それは、まず一度作るべきものだと思っています。ただ、常にアップデートし続けられるものだとも思います。現場の監督やコーチと足したり、削ったりしていくものになる。相手に研究されて使えないものになったら、それを上回るものをまた作っていかなければならないでしょう。重要なのは、メソッドとして、自分たちのサッカーを体系化し、言語化すること。共通言語を持つことによってエラーが減るでしょうし、それを前提としたアイディアも出てくると思います。

 このクラブではよく、“ヴェルディらしさ”という言葉を使います。それはとても良いことである一方で、ヴェルディらしさという言葉は曖昧性が高くて、人によって微妙に違っていたりする。もしくはヴェルディらしいプレーができる人やクラブのOBでないと、そのニュアンスを理解しきれないこともあったりします。ヴェルディらしさは伝統であり強みである一方、その曖昧性は今後の成長に制限や限界を設けてしまうことにもなりかねない。

 ヴェルディメソッドがすべての解決策では絶対にないですが、確度を上げる一つの方法であるのではないかと思っています。抽象的なイメージを文字や絵に落とし込むということで世界に広がっていく力を持つ、というは論語や聖書、武術の虎の巻など、あらゆる世界に存在するものです。

【東京V】梅本GMに聞く◎後編「2030年にCWCで優勝するチームにしたい」 - サッカーマガジンWEB

確かに、ヴェルディらしさと言ったら”足元がうまい””攻撃的なサッカー””パスサッカー””チャラい””ちっちゃい”・・・俺の中にも何となく雑なイメージはあるし、その言語化・体系化という作業にはとても期待していた。

もともと読売クラブ時代から、尖っていてパワフルで個性的な選手を輩出してきたヴェルディだからこそ、

主にピッチ内に限った話とはいえ、”ヴェルディメソッド”においては、それこそ選手・サポーター双方にとって、刺さる人間にはとことん刺さる、革新的な理念が示されるのではないか、とワクワクして待っていた。

しかし。

2020年オフ、旧フロントの退陣の余波を受け、Akatsukiがスポンサーから撤退

そして今年、メソッドディレクターとして招聘されていた坪井健太郎氏も鹿島アントラーズに引き抜かれ、退団のコメントも残さぬまま、ひっそりとクラブを去った

2022年秋現在、このヴェルディメソッドがどこまで構築されたのか、我々にはわからない状態だ。

他クラブと差別化されたヴェルディにしかないものがあるとすれば、それは1969年から積み上げてきたクラブ内の文化だし、

ピッチ内でそれを安定して表現することができれば、試合の勝ち負けに関わらず、ヴェルディのスタイルそのものに魅了される人間は増えていくはず。

そんな簡単な話ではないことは百も承知だが、ヴェルディというクラブをカルトブランドたらしめるためにも、このメソッドの探求は絶対に諦めないでほしい。

成功しつつある”リブランディング”の存在

一方で、ピッチの外に目を向けると、ポジティブな変化も生じている。

それは、ブランディングが成功しつつあること

先述の「総合型クラブへの転換」の発表と時を同じくして、ヴェルディは"ブランディング"を宣言し、長きにわたって使用されてきたクラブエンブレムを一新。

そして、アマダナ率いるクリエイティブセンターを新設し、ユニフォームやグッズのみならず、公式HPや告知PV等において、統一感のあるビジュアルコンセプトを貫けるようになった。

リブランディングの真相 | TVEW2020

とりわけ、ブランディング後のユニフォームについては、その売上が大幅に上がったことがネットニュースになったくらい、めちゃくちゃクオリティが向上した。

おい、既に2人いなくなってんな?

とにかくピッチ内外様々な点において不安定な我がクラブにおいて、「裏切らない」という信頼感を獲得しつつある、貴重なストロングポイントである。

ここをひとつ現状打破の突破口としたい。

コミュニティーはあるか、そしてそこに対話はあるか

では、もう一つのポイント、「ブランドを支えるコミュニティー」について。

カルトブランディングにおいては、ブランドを愛する人間たちによる、明確なコミュニティーの存在が必須であり、それに対してブランド自らが積極的にサポートし、対話をしていくことが求められる。

まず、ヴェルディ含むプロスポーツクラブにおいては、クラブ自身が「ファンクラブ」を用意するのが一般的。しかし、ファンクラブはあくまで「1(会員)対クラブ」の図式であり、会員同士の横の繋がりが作れないため、コミュニティーと表現するには弱い。

ヴェルディのファンクラブも、ゴールドやプラチナといった年会費の高い上位会員になると、会員専用のイベントなんかもあるらしいが、一般的なファンが参加するにはなかなかにハードルが高く、発展が望めるコミュニティーか?と言われると・・・である。

そうなると、ヴェルディにおける「明確なコミュニティー」とは、ゴール裏の私設団体くらいしかないと思う。5ちゃんねるや超板は到底コミュニティーとは呼べないし、Twitterクラスタやインスタにおけるサポーターの繋がりなんかも、はっきりと可視化されていない。

ただ、ヴェルディのゴール裏団体の献身的な取り組みは、俺のような怠惰なサポーターにとっては本当に頭が下がるばかりなのだが、

一方で、自分を含む否ガチ勢の人間や、遠方に住んでいるサポーターにとって、やはり団体に所属するというのはハードルが高い、と勝手に思っている。

我儘を言うならば、ライト層を含むもっと広くて敷居の低いコミュニティーがあれば・・・とか思ってしまう。

もちろんヴェルディのことを最も深く熱く愛するゴール裏団体に向けてでもいいし、

極論、クラブ側がイデオロギーに沿ったファン層をターゲットに定め、コミュニティを作ってしまう、ってのももしかしたらありかもしれないんだけど、

いずれにせよ、そのコミュニティにクラブが積極的に関与し、そこから生まれる意見をクラブが吸い上げて・・・という形が理想なのだが、現状のクラブのリソースでは難しいだろうか。

(クラブとの対話という意味では、”pring”というファンコミュニティサービスに期待をしていたのだが、結局立ち消えになった?ようで残念。お金が絡むサービスは、やはり匙加減が難しいですよね)

あと、コミュニティーの話からは少し逸れるけど、

ファンを事業に参画させることで、より共同体としての結びつきを強める、というのもカルトブランディングの手法なわけだけど、今のヴェルディはちょっとその辺のセンスがイマイチなので、苦言。

お粗末な「仮説」

さて、俺の足りない頭がひねり出した、カルトブランディングの極論。

 

テクニックに優れ、華やかで、個性的な選手たちを輩出してきたクラブの文化、

そしてリブランディングによって変貌したクールなクラブのスタイルを踏まえ、

ヴェルディイデオロギーを「巧くてかっこいいヤツ以外お断り」と定義する。

選手は全員三渡洲舞人佐藤優平竹内涼真も今ならトップ昇格。

ガラガラの味スタはダサいので、ホームスタジアムは西が丘。ゆくゆくは聖地となるスタジアムを作りたいね。

ゴール裏を埋めるのは、MALIA.でもミス立命館でもいいが、とにかくイデオロギーに沿ったSickでSweetなクラブ公認サポーター、それに準ずるキラキラしたサポーターたち、もしくはSNSでの発信力のある人間のみ。スタジアムは、自己実現の場。

俺のような三流私大卒アラサーは当然入場資格がなく、お家でDAZN観戦である。

彼らは定期的にフロントスタッフを交えて六本木辺りでイベントを開催し、ワイングラス片手にクラブの未来を本気で語り合う。

J1ライセンスがとれないので昇格はできないが、目標はそこではなく、いかに異端で美しく魅せるサッカーをするか。

そんなイデオロギーに共鳴した選手・将来のヴェルディを担う金の卵が集まり、世界に異端児を次々と生み出す、”カルトブランド・ヴェルディ”。

 

うーん、凄く不自然なブランディングだ。ダメか。ダメだ。誰かもっとマシな未来予想図を考えてくれ。あと、こんなチームになったら、監督に永井氏が帰ってきそう。

 

理想的な我々”信者”の振る舞いとは

・・・とまあ、そんな妄想はさておき。

当たり前の話ですが、ここまで挙げたカルトブランディングにおける「〇〇すべき」という話は、全てブランド側に向けられたものであって。

今回ヴェルディを引き合いに出してみましたが、結局ああだこうだ言ったところで、最終的にはクラブのこの先の取り組みに期待するしかないわけで、我々サポーターが何をできるのか、っていう話ではない。

冒頭のびすこさんの記事とは、完全に真逆のベクトルである。1万字以上費やして何を書いているんだ俺は。

ただ、我々ヴェルディサポーターがどのようにふるまうべきなのか、この本を読んで思いついたことを強いて挙げるなら、下の3つかなあ、と。

本来自発的な献身を示すはずの信者、しかもヴェルディが魅力的なカルトブランドたりえていない現状において、「このような信者であれ」というのはひどくおかしい話なのだが、まあ軽い気持ちで聞いていただきたい。

サポーターとしての発信を増やす

結局のところ、サポーターにできる一番大きい貢献は、ひとりひとりが広告塔としての役割を担うこと

もちろん、無理のない、不自然でない範囲での発信で十分だと思ってて。

今のヴェルディのようにチーム状態が悪ければ、愚痴のひとつやふたつこぼすべきだし、スタジアムに行って楽しかったなら、それも素直に発信すべきだし。

義務感からでなく、自然な感情に任せて発信したあなたのヴェルディライフが、誰かの心を動かすかもしれません。

あと、上では茶化して書いたけど、スタジアムが何かしらの自己実現の場になれば、というのは本音。

何かにつけて「サポーターならこうすべき」みたいな声に縛られる、そんなスタジアムの在り方は俺は好きじゃないです。もっとみんなそれぞれのスタイルで楽しめばいいじゃん。だからヴェルディが好きなんだけどね。

新たなコミュニティーの創出

先程も書いたが、今のヴェルディにほしい(と俺が勝手に思っている)のは、

団体さんほどのコア層ではなく、もうちょっと緩く広いファンコミュニティ。

それこそ、びすこさんが呼びかけているヴェルディ会とか、最近Twitterのタイムラインに流れてくるスペースでの交流だったりとか、そうしたコミュニティ形成に向けた素晴らしい動きだと思うので、ここに貼らせていただきます。

・・・なお、こんなこと言っている俺は怠惰なクソ野郎なので、願望だけ語っておいてあとは他人任せである。いや、ゆくゆくはファンコミュニティサイトを作りたい、とかちらっと考えたりはしているんだけどね・・・

ブランディングへの意見表明

ヴェルディのリブランディングは、今後のクラブの命運を左右する重要なプロジェクト。スタートしたのはずいぶん前のように思えるけど、始まって今年で4年目。一定の成果は出てきたとはいえ、まだまだ手探りの部分も多いでしょう。

そんな中で、ヴェルディのブランドイメージをしっかりと固めていくためにも、

かっこいいものには惜しみない賛辞を、そしてピンとこなかったものに対しては忌憚なき意見を、しっかりと表明していくことも我々サポーターができる役目かなあ、なんて思っている。

 

最後に。

ヴェルディの現状への危機感というのは、サポなら誰しも抱えていると思っていて。

クラブに変化を促すのか、俺たち自身が変わらなきゃいけないのか、人によって様々な意見があると思うし、

そうした意思表明—例えば今回の俺の文章なんかも、何かしらの問題提起になればいいと、これは真面目に思ってる。

ただ、何の責任も持たない俺のような人間が、偉そうに「べき論」だけ語ってても、ともすればクラブやフロント、仲間であるサポーターの方々の熱意を揶揄したり、踏みにじったりしかねないから、難しいけどね。

今回の切り口は「カルトブランディング」だったけど、またこうした文章を折に触れ書いていきたいと思っています。

 

俺たちの愛するヴェルディが失われることのないように、そしてもっと大きく大きく育ってもらうために、ね。

 

では。