9歳の頃の記憶だ。あまり明瞭ではない。
それでも、飛田給駅から歩を進めるにつれて、徐々に姿を現したスタジアムは、今よりずっと大きく見えたし、入場ゲートをくぐり、青々としたピッチが見えた瞬間の胸の高鳴りは、今でもはっきりと思い出せる。
22年前の2002年8月10日、僕は東京スタジアムにいた。
僕にとって、初めてのサッカー観戦だった。
その試合は、90分を終えても決着がつかなかった。当時はリーグ戦にも延長戦があって、どちらかがゴールを決めた時点で、試合終了だった。延長戦が始まってしばらくしたら、いきなり得点が入って、本当に試合が終わった。スタジアムはお世辞にも観客であふれていたとは言えなかったけれど、それでもホームチームの勝利にスタンドは沸き、熱を帯びた。断片的な記憶しかないが、その幕切れのあっけなさと、ゴールが決まった瞬間に沸き起こった爆発音のような歓声は、ちょっとした衝撃として残っている。
試合後、客席に挨拶する緑の選手たちは、ナイターの照明に照らされて、ぼうっと白く浮かび上がっていた。彼らは、とてもとても、きらめいていた。
あのVゴールを決めたのは、当時19歳の小林大悟という選手だった。ゴール自体は泥臭いものだった記憶があるけど、彼のプレーの巧さは、小学生の僕の目にも際立って見えた。
思えば、あの瞬間から、僕の東京ヴェルディライフは始まった。
Soccer D.B. : 2002 明治安田 J1リーグ 02/08/10 東京ヴェルディ - サンフレッチェ広島 試合結果,スタメン
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2002年は、日本中にサッカーフィーバーが巻き起こった年だった。言うまでもなく、ついにFIFAワールドカップが日本にやってきたからだ。
うちの母はいきなり熱心なサッカーファンと化し、どこからかベッカムとロナウドのブロマイドを手に入れて、部屋に飾りだした。サッカーアンチの父は、渋い顔をしていた。それだけならよかったのだが、母は大五郎カットのロナウドを見て、そのあと僕の顔を見て「あんたにもこれ似合うんじゃないの」といそいそと散髪の準備をし始めたので、僕は泣いてそれを止めた記憶がある。普通に虐待だと思いませんか。
とにかく、僕もその熱狂につられて、サッカーを習い始めた。そんな孫の姿をみた稲城市在住の祖父母が「だったらJリーグも観てきなさいな」とチケットを買ってくれた。それが、冒頭で書いた、東京ヴェルディvsサンフレッチェ広島の試合だった。
とはいえ、初観戦こそヴェルディだったけど、この年は他のクラブもいろいろと観に行っていた。なにせ僕はずっと神奈川県で育ってきた人間で、なんならその頃は横浜F・マリノスのサッカースクールに通っていたから、マリノスの招待券なんかもたくさんもらっていたのだ。あと、横浜FCの試合にも何回か足を運んだ。
じゃあ、なんで、最終的に、僕はヴェルディを選んだんだろう。
まず、いちばんの理由は、僕が小さい頃からあまのじゃくな人間だったからかもしれない。
つまるところ、強すぎるチームは、あんまり好きじゃなかった。あの頃のマリノスはとても強くて、2003年~2004年は連覇を果たしたりしていて、周りもこぞって応援していたけれど、そんなチームをわざわざ応援するなんて選択、僕にはつまらないとしか思えなかった。クラスにひとりはいたでしょ、そういう斜に構えた人間。
じゃあ横浜FCでもよかったのかもしれないが、当時の僕にとって、J2のチームは、なんというか、その、さすがに地味すぎて嫌だった。Jリーグチップスのカードに含まれていないチームなんて、正直なところ、興味の対象外だったのだ。横浜FCサポには申し訳ないが、9歳のガキだった僕が思ったことなので、あまり叩かないでほしい。どうせ僕は、その後長くJ2に低迷するチームを応援することになるのだ。あと、小野信義と智吉コンビは、シンプルに好きだった。
そして、僕の心がヴェルディに大きく傾くきっかけになったのが、2003年のシーズン前、稲城市体育館で行われた、選手たちのサイン会だった。
あの日の会場には、選手数名が来てくれていた。僕は1時間くらいかけて、全員のサインをもらった。ヤマタクはサインが丁寧で、米山篤志はとにかくクールだった。そして、ゴールキーパーの高木義成は、実に大ざっぱなサインを色紙に書きながら「ヴェルディで誰が好きなの」と僕に聞いてきた。小林大悟が好きだった僕は、とはいえ別の選手を目の前にしてそうとは言えず、仕方なく「高木義成選手です」と答えた。彼はにやっと笑って、大きな手で僕と握手をして「ありがとね」と言ってくれた。あの瞬間から、今日この日までずっと、僕のいちばん好きなサッカー選手は、高木義成になった。
そういえば、その年のある日、横国にマリノスの試合を観に行ったとき、田中隼磨がサイン会をやっていた。隼磨はその前年にヴェルディにいた馴染み深い選手だし、僕も彼のサインが欲しかったのだが、ダメだった。おそらくファンクラブ限定のサイン会とか、そんな理由で参加できなかったのだと思うが、母は「マリノスはお高くとまったクラブだから、サインひとつもらうのにも、それはそれは高いお金がいるのよ」と、僕に大げさな説明をした。素直な僕はそれを信じ、お高くとまったクラブはきらいだな、ヴェルディの選手はみんなあんなに優しくて、快くサインをくれたのにな、やっぱりヴェルディのほうがいいチームだな、とか思った。
さらに、もうひとつ、大きなきっかけがある。
それは、2003年6月21日、北澤豪の引退試合での出来事だった。
https://magumagumaguron.at-ninja.jp/vdata/kitazawa.html
旧国立競技場で行われたあの引退試合は、梅雨真っ只中とは思えない好天で、なんならとても暑かった。僕と母は、新宿駅で買ってきたカツサンドを頬張りながら、バックスタンド寄りの席でその試合を観ていた。
最初の試合は、豪華OBたちを含むドリームマッチだった。カズやラモスや野人岡野の姿はおぼろげに記憶にあるけど、試合内容はあんまり覚えていない。率直な話、僕はこの手の華試合というのに、当時からあまり興味をそそられなかったのだ。
その試合が終わったあと、今度はヴェルディとマリノスの現役メンバーが出てきて、第2試合が始まった。一応これも引退試合の一部だったけど、真剣さが全然違って、ほぼトレーニングマッチみたいなものだった。松田直樹がやけにエキサイトして審判に食ってかかっていたりして、僕は「大人げないなあ」と思いながらも、最初の試合よりよっぽどのめり込んで観ていた。
あっという間に前半が終わった。母は「ちょっとお手洗いに行ってくるわね」と僕に言い残し、席を離れた。けれど、ハーフタイムが終わり、後半が始まってしばらくしても、母は席に戻ってこない。僕はだんだんと試合どころではなくなってきて、母はどこに行ったのか、自分の席を覚えてなかったのか、あるいはなにかトラブルでもあったのかと、きょろきょろと辺りを見回していた。
そんな僕の様子を見ていたのが、隣に座っていた男女4人組だった。おそらく20代前半くらいの、おしゃれな人たちだった。その中のひとり、髪を明るい茶色に染めた男性が「お母さん、戻ってこないね、大丈夫かな」と、優しく声をかけてくれた。僕は「大丈夫、だと思う」と、不安な様子を悟られぬよう、強がって頷いた。たぶん、バレていたと思うけど。
その後も、彼らは僕のことを気遣って「サッカー習ってるんだね」「いつからヴェルディを応援してるの」「好きな選手は誰なの」と、たくさん喋りかけてくれた。僕は「高木義成が好きだ」と言いかけて、でも、それじゃいかにもニワカっぽい回答だなと思い直し「柳沢将之が好きだ」と答えた。こういうところ、僕は本当にあまのじゃくだった。いちばん奥にいた女性が「少年、渋いね〜」と笑ってくれて、僕もようやくそこで、少し笑った。
最初に話しかけてくれた茶髪の男性が「ヴェルディも昔と比べたらめっちゃ弱くなったけどさ、でも、こういう試合を観ていると、華があって面白いチームだよなあ、なんて思うんだよな。でしょ?」と僕に語りかけた。
こんなに優しい人たちがそう言うのだから、ヴェルディはやっぱりいいチームなのだと、そういうところは実に素直だった僕は心から納得して、またうんうんと頷いた。
今思えば、あの体験が、決定打だったかもしれない。
あの日から、僕は、自分のことを”ヴェルディサポーター”なのだと、はっきり意識するようになった。そしてあの時のお兄さんお姉さんみたいな、優しいサポーターになるんだと、心に誓った。
(ちなみに、試合終了直前に、母は席に戻ってきた。母は隣の4人組にお礼を言ったあと、僕に向かって「ここの座席、日差しが強くて暑いしまぶしいでしょ?だから、日陰のあるメインスタンド側の席に移動してたのよ。ちゃんと向こうからあんたのことも見守ってたから、大丈夫なのよ~」などと、いけしゃあしゃあと言ってのけた。僕は、母の神経を疑った)
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その後、20年以上にわたり、僕がどのようにヴェルディとともに生きてきたのかは、この記事では到底書ききれないので、別の機会に譲ることにする。
ひとつ言えるのは、あの時ヴェルディサポーターになったことに、後悔なんて別になかったということ。いや、その言い方はさすがに綺麗すぎるし、ちょっと違うかもな。
結局のところ、他にも選択肢があった中で「東京ヴェルディを応援する」と決めたのは自分なのだし、その決断には間違いなく理由があったのだし、決め手となった事柄—たとえば、ヴェルディは今でもそんなに強くはないし、でも、推しの選手は次から次へと生まれてくるチームでもあるし、なにより、サポーターはずっと暖かかった—は、変わらないままだった。なので、心が離れるタイミングがなかった、という方が、正しいかもしれない。
ただ、あの時Vゴールを決めてくれた小林大悟と、がっちり握手をしてくれた高木義成と、あの日隣に座った4人組の方には、深くお礼を言いたい。「辛く、しんどく、そして、とびきり楽しいヴェルディライフをくれて、ありがとう」と。
あと、なんだかんだ、そうしたきっかけの原因になっているのは、我が母だったりするなと、書いていて気づいた。ただし、僕は今でもあの日の引退試合で置いてけぼりにされた恨みを忘れていないので、こちらにはあんまり感謝はしないでおこう、と思う。
この話、いつかブログに書きたいなって前々から温めていたのですが、なんだかんだ仕事で忙しくしていたのと、自分の小さい頃の話を晒すのは恥ずかしかったので、なかなか筆が進みませんでした。
ですが、ずっきーさんのアンケート(おそらく鋭意集計中かと思うのですが、その結果発表を待たずして、この記事を上げてしまって申し訳ない…)と、さなぶりさんが作られたコミュニティサイト「SAY! WE! TOKYO!」を見て、ここが書くタイミングかなって、思いました。
なにせ20年以上も前の話なので、記憶違いも含まれているかもしれませんが、おおむね事実のはずです。うちのディエゴソウザ(母)、なかなかの暴君ぶりですよね。でも、あの頃の僕の年齢より、当時の母の年齢のほうがよっぽど近くなってしまった今となっては、毎週のように息子をスタジアムに連れ出すという行為、その負担はいかばかりだったろうと、思わずにはいられません。いや、僕は当時から聞き分けのいいよくできた子だったから、大した負担でもなかっただろうし、別にそんなん思わんでもええか
この話の続き、僕のヴェルディライフの軌跡についても、いつか書きたいなと思っています。ひたすらに、長く、重い文になりそうで、きれいにまとめられる気はしないですが。
さて、皆さんのヴェルディは、どこから始まりましたか?