緑がちる

緑はいつか散ります。でもまた実るものです。ヴェルディ&FM日記(予定)

とりとめのない休日に、ヴェルディがいないということ

先週起きたことに対して思ったことを、雑でもいいから形にしたくて、文章を綴ってみた。

 


先々週からコロナウイルス陽性判定者がぽつぽつと出てしまっていた、我らが東京ヴェルディ

7/10(日)の大宮戦こそ何とか乗り切ったものの、その後さらに感染者が増えてしまい、あえなくトップチームの活動はストップ。

7/13(水)天皇杯ジュビロ磐田戦、そして7/16(土)J2第27節徳島ヴォルティス戦の2試合が、急遽開催延期となってしまった。

 

さて、せっかくの3連休を迎えたものの、

東京ヴェルディの試合観戦を除けば、混沌とした世界情勢について思考を巡らせ、この世の真理を探究する知的営みに勤しむことしか知らぬ僕でありますから、

突然ぽっかり空いた時間を大いに持て余した挙句、愚民たちがうつつをぬかすゲームなるものをやろうと決意し、

フットボールマネージャーとかいうサッカーのゲームをやってみたり、スレイザスパイアをやってみたり、遊戯王マスターデュエルで恐竜デッキの型をどうすべきか試行錯誤したり、YouTubeでシャドバの大会や信長の野望新作の先行配信を眺めたりしていた。

 

つまりいつもとほぼ何ら変わらない休日を過ごしていただけなのだが、それでもそこにヴェルディの試合がないということは、やはり調子が狂う。

Twitterを眺めていたところ、そこにいるヴェルディサポーターたちは、僕と同じく突如生まれた空白の時間にそれぞれ困惑し、

ある者は代わりにヴェルディユースの応援に出向き、またある者は前倒しで連休の間に仕事を片付け、さらにある者は「代わりに試験勉強をせねば」などと宣言していた。たぶん最後のは試合の有無にかかわらず最優先にしとくべきやつだ。やれ。

 

これは別にヴェルディに限らず、多数のコンテンツに言えることだが、

思えば、この2年半で、何か愛するものを急に奪われてしまう事態に、僕らは少々慣れ過ぎてしまった気がする。

令和2年2月、イベント開催の自粛が要請されたあの時から、状況が相当前に進んだのは間違いないんだけど、

とはいえ未だにどんなエンタテイメントも突然の決行不可と隣り合わせの状況であり、もしかしたらそれは永遠の決行不可にだってなりうるわけだし、

そんな時代に生きているのだから、そこそこの諦観をもって事に当たらなければならず、僕にとってそれがひどく悔しい。

僕はとかく斜に構えて生きてきた人間ではあるが、それでも愛するものに対しては、やりすぎなくらい入れ込んできたつもりだし、これからもそうやって生きていきたいのだ。そんな愛情を注ぎたいものの多くが、簡単に足元からぐらつきかねない、こんな世の中に慣れつつあることが、とても悔しい。

 

もちろん、今回はあくまで試合の「延期」である。

罹患してしまった選手もそのうち戻ってくるし、試合はまた必ず行われる。

だから「奪われる」という形容が適切でないことは分かっているし、

なんだか大げさに書いてしまったが、実際のところ、僕が今回感じた喪失感はとてもぼんやりしたものである。

 

とはいえ、その日そのタイミングでしか足を運ぶことができず、開催を待ちわびていたサポーターも中にはいたことだろう。

もしかしたら、その日が自分の誕生日で、愛するチームに勝利というプレゼントを貰いに来るつもりだった人もいたかもしれないし、

一世一代のプロポーズをこの日味スタで決めてやろう、と意を決していた奴もいるかもしれない。いや、多分それはいないか。

そうでなくても、この日は胸スポンサーとしてクラブを支えて下さるニチガス様のスポンサードマッチだったわけで、クラブ関係者の無念さたるや計り知れないが、

そんな誰かにとって特別な日になるはずだったイベントを中止せざるを得ない、そうした状況が今なお続くことが憎い。

 

何より、この先このような計画の立てづらい不確実なエンタテイメントを、人々は敬遠するようになり、

より安定した”いつもそこにある”コンテンツ、例えばスレイザスパイアとかそういったもの、に移っていくのではないか、とも危惧している。

そして、そんな不安定なコンテンツ、例えばJリーグのチームなんて、2つや3つなくなっても、何も変わらないよな、なんて時代がもしかしたら来るのかもしれないし、そうなったときに真っ先に東京ヴェルディは潰れていきそうなものだが、これももう如何ともしがたいのかもな。また、諦観。

 

誤解しないでいただきたいのだが、俺は愛するコンテンツを生き永らえさせるために、こうしたイベントを無理やりにでもガンガン決行していこうぜ、と主張したいのではない。

今回の試合中止の判断はもちろん当然だし、チーム内で感染が広がったのも別に誰の非でもなく、それどころか関係者が不断の努力をし続けて、なおこのような事態が起きてしまっていることはよく理解しているし、だからこそ本当にやるせない。

じゃあこのやるせなさを何に向ければいいって、そりゃシンプルに言えば「感染症が憎い」で終わりだし、

日々混沌とした世界情勢について思考を巡らせ、この世の真理を探究する知的営みに勤しんでいる僕には、あるいは何か別に特定の存在を見つけ、それを糾弾したところで、何の意味もないということだけはわかっているので、

このぼんやりとした喪失感を、そのままそっと胸にしまっておこうと思う(そっとしまうことができずに、こんな文章書いてるじゃねえか、というツッコミはなしにしてほしい。その通りだから)。

そして、いつかまたヴェルディが、はたまた愛する何かが失われるような、そんな悲しい日が来ることのないように、そんな日を迎えさせることのないように、時々思い出しながら生きていきたいと思っている。

 

慣れてしまったといえばもうひとつ、こうした興行にかかわる方々の感染である。

とりわけサッカー選手のようなアスリートにとって、たとえ症状が軽かったとしても、シーズン中にトレーニングから離脱せざるをえないのは重大なアクシデントだし、

症状がある程度出てしまったら、完全にコンディションを戻すのには時間がかかるだろうから、残りシーズンへの影響も心配される。

そうでなくても、家族と同居しているような選手にとっては、家庭内感染の不安が心理的に負担となることだろう。

これはもちろんヴェルディだけに留まる話ではないが、感染してしまった方全員が、何事もなく恢復されることを心から祈っているし、

そうした逆風の中で、それでも立ち上がり戦い続ける全ての方々に、改めて敬意を表したいと思う。

 

 

だから、僕はそうした気持ちを拍手に乗せたくて、あさって磐田戦には現地参戦しようと思っている。

職場がちょっと味スタから遠いので、キックオフに間に合うかは微妙だけど、それでも何とか定時ダッシュを決めて、馳せ参じようと思っている。

 

そのためには、現在進行形で溜まっているであろうお仕事(僕のお客さんは海外なので、たとえ日本が祝日だろうと関係はない)を、今日のうちに少しでも片付けておいた方がいいのは分かっているが、

いったんそのことは頭の隅に追いやり、今もスレイザスパイアをプレイし続けている、知的営みもクソもない僕なのであった。